中国には、パンダは、実は神界の存在であったという伝説があるのだとか。 検索してみると、以下のような話がでてきますね。
盤古大王が天地開闢をしたときには、パンダはまだこの世にはいませんでした。その後一夜のうちに森に白黒2色のきれいな動物が現れました。その動物は、固い竹を食べ、常にそばには龍がついていました。人々は、その動物が何者なのかも分からず、習性も分からず、狩りはおろか近づくこともしませんでした。 ある日、勇気ある一人が龍に動物のことを尋ねたところ「大熊猫(パンダ)」であると教えてくれました。龍は、「パンダは人間界に降りてくる前は神様で、天のおきてを破ったために人間界へ流されてきた。殺生は許されず、竹のみを食べて生き、徳を十分に積んで初めて天へ戻れることになっている。自分は、玉皇大帝の命を受けてパンダの修練を監督しているのだ。」と教えてくれました。 ところが、パンダは人間界に来てからは、何にも束縛されず自由自在に過ごすことができました。パンダが生活している場所には水も緑も豊かで景色も美しく、パンダは竹だけ食べる生活であっても十分満足で、天へ戻ろうともしなくなりました。よって、修練もせずに日々悠々と過ごし、時には禁を破って肉食をすることすらあるのです。
盤古大王とは中国の神話における宇宙想像の神様らしいですね。 パンダはもとは展開の住民で、何か掟を破ってしまったことで地上に落とされたと・・・一体何をしたんでしょうね?(^_^;) 私が昔何かで読んだ記憶では、最後に、いつまでもグータラしてばかりのパンダに呆れて、龍は天界に帰ってしまった、と言う話が最後についていたように思うのですが、検索してみてもそのような話は見つかりませんでした。 パンダの生態を見ていると、他人とは思えないものがあるのですが・・・そう、まさにその生態は、グータラですよね。 パンダの基本姿勢というと、座って笹を食べていると言うイメージですが、座っていると言うより、寝転がって上半身だけ起こしている姿勢なんだそうです。 うん、私の基本姿勢と同じだ(笑)
また、このようなチベットの民話もあるようです───パンダが白黒である理由 (※パンダは中国の生き物と言われていますが、厳密にはチベットの生き物ですね。)
羊飼いの4人の若い娘さんが、飢えたヒョウに襲われていたパンダを救い出そうとして、噛まれて死んでしまいました。 別のパンダたちはその話を聞いて4人の娘さんのためにお葬式を行うことにしました。 当時、パンダは全身雪のような白で、黒い部分は一箇所もありませんでした。死者への追悼のため、パンダたちは腕に黒い喪章をつけてお葬式に参列しました。パンダたちは悲しみのあまり、泣き出しました。パンダたちの涙は喪章の黒い色と混ざりあって腕をつたい、目を擦ったので目の周りまで黒くなりました。また、感極まって耳を押さえたり、お互い抱き合って泣いたため、耳や体のあちこちも黒くなってしまったのです。 パンダたちは、この黒い色を残して、4人の娘さんを忘れないように、そして自分達の子孫にもこのことを伝えようとしました。パンダたちは、この4人の娘さんを4つの山にしました。これが、現在パンダの故郷四川省にある四姑娘山です。 (民話出典: 達徳利 「未馴服的世界 大熊猫」 河北教育出版社)
個人的には「しろくまカフェ」に紹介されていた、パンダの名前の由来の話が好きですが(笑) 一般的には、チベットの言葉で「竹を食べるもの」と言う意味の言葉(ネガリヤーボンヤ)だったという説明がされていますが、諸説あり・・・(ネガリヤーボンヤって全然パンダに近くないですよね・・・略されてボンヤの部分が使われてたのかなー・・・?) 中には、西洋人が来て、あの不思議な動物の名前は?と訊ねられた時に、「あの太った(胖的=パンダ)奴?」と答えたのを、パンダという名前なんだと勘違いされて広まってしまった、と言う説もあるのだとか・・・(笑)
余談ですが、レッサーパンダのレッサーは「小さい」と言う意味だそうです。元々レッサーパンダのほうがジャイアントパンダより先に発見されていたのですが、後にジャイアントパンダが発見されたことで、「小」がつけられるようになったのだとか(ジャイアントパンダ=大熊猫、レッサーパンダ=小熊猫) 余談その2、 名前に関しては、カンガルーも似たような話があるそうです。
昔々オーストラリア大陸を探検していた欧米の探検家が、尾の長い耳の立ったピョンピョン跳ねる獣を見て案内の原住民に「あれはなんて獣だ?」と尋ねたところ、「カンガルー」と答えたのでその動物の名前は「カンガルー」と記録されましたが、実はカンガルーという言葉は現地語で「分からない」という意味だったとか(諸説あり)
(※カンガルーは現地語で「飛び跳ねるもの」という意味だという説も)
「カステラ」の名前の由来も似たような話でなんだとか オランダからカステラが日本に持ち込まれた時、「これはなんですか?」と尋ねられたオランダ人はカステイラと答えたので、お菓子の名前がカステラとして日本では広まったのですが・・・ 実は、お菓子の入ってた箱に書いてあった絵が城の絵で、オランダ人は城の事を聞かれたのだと思ってオランダ語で「城」を意味する「kasteel(キャスティール)」と答えたのだとか・・・(笑)
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