差別をなくすためなら「言論の自由」は守られなくても仕方がない?

「言論の自由」を守ることは、差別をなくすことより大事な事だっていう事が常識になれば良いなぁと思っています。 おかしいでしょうか? 人々がこれまで、「言論の自由」を手にするまでどれだけの血を流してきたのか、平和な時代に生きる現代人は忘れてしまったのだろうと思います。(特に日本人は) もちろん、差別はよくない。差別はないほうがよい。 しかし差別をなくす事は、「言論の自由」を犠牲にしてまで達成する事ではないと思うのですよね。 それはまるで、健康のためなら命を損なってもよい、みたいな話で。


たとえば、「平和」は大事です。が、「誰かの命を犠牲にして平和を守る」のは本末転倒だと思うわけです。 平和を守るために、自分や、自分の子孫、家族・親族・仲間達の命を犠牲にするのは、なにかおかしい。 自分や家族の犠牲で他の多くの命が助かるというのなら、考える余地はあるかも知れませんが、その他の人みんなの命も、たくさんの命をみんな犠牲にして「平和」を守りました、なんてのは、まったく意味がないわけで。 Aという国に、B国の軍隊が攻め込んできた。しかし、平和を愛し、戦争をしないと誓ったA国は、戦うことを拒否し、結局B国に皆殺しにされてしまった。 それで、A国の人は、「平和を愛し、戦争をしない」という誓いを守り抜いて、満足して死んでいったのだろうか? 「健康のためなら死ねる」というのは笑い話なわけですが、笑い話じゃない状況に、世界がなりつつあるように思います。


愛知トリエンナーレで行われた、津田大介氏が監督を務めた「表現の不自由」が、慰安婦像や昭和天皇の御真影を焼くなどの展示が「不愉快」「不敬」と短期間に炎上し、中止に追い込まれましたが

審査過程をチェック 「表現の不自由展」中止で文科相方針
愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で、元慰安婦を象徴する「平和の少女像」や昭和天皇の肖像を燃やすような動画作品などを展示した企画展「表現……
www.sankei.com

この「表現の不自由展」も、私は表現の自由は認めるべきだと思っています。 ただし、日本に対するヘイト表現を認めるなら、同時に、日本人から外国人へのヘイト表現も認めるべき、ということです。 こちらは認めろ、そちらは黙れ、では筋が通りません。(だから津田大介氏の言論弾圧だと言う主張は筋が通っていませんね。)


ただ、たとえば、反対側からの主張も同時に展示していたらセーフというか、グレーだったかな、と思うのですよね。 橋下徹氏が言っていたように、公金を使うのであれば、津田氏はバランス感覚を失うべきではなかったのだろうと思います。

橋下徹「津田大介さんはどこで間違ったか」 必要なのは「手続き的正義」の考え方
(略)8月3日、現代アートの大規模な祭典「あいちトリエンナーレ2019」の一環として公開されていた「表現の不自由展・その後」という展示が、地元の河村たかし名古屋市長や現役閣僚を含む各方面からの批判を受け、……
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たとえば、「表現の不自由展」として、慰安婦像など日本への批判だけでなく、左翼勢力によって潰された保守系愛国系の表現や、中国が否定・規制し続けている「南京大虐殺」についての展示、タブーとなってしまっているナチス・ホロコーストの否定(それをやってユダヤ勢力に潰されたという雑誌「マルコポーロ」を展示するとか)、ナチスヒットラーを称賛する表現、なども、同時に展示していたら、津田氏の「言論の不自由展」は許された、許されたところか、ヒーローになったんじゃないかとさえ思います。 まぁ、品がないのでアウトという意見もあると思いますので、セーフではないにせよ、グレーだったかな、と。


つまり、公金を使うものであるなら、偏った思想オンリーの展示はすべきではない、という事は、仕方がない事だと思います。 それは、表現の自由とはまた別の話。 例えば、テレビ番組で、ある製品を馬鹿にしこき下ろすような番組に、その製品のメーカーがスポンサーになってお金を出すわけがない。 別にその製品をこき下ろすような表現をしてはいけないと言うことはないが、こき下ろされる側の人がお金を出すわけがないわけです。 それと同じ、国民を不快にするような展示に、国民が払った税金を投入するのは、税金の使い方としては適切ではない。 ただ、表現が検閲されたわけでも禁止されたわけでもないので、私費で行う分には規制は一切ないわけで。そういう意味では日本は表現の自由がまだ十分に許されている。 (そういう意味で、津田大介氏や愛知県知事の表現の自由への弾圧だ、という主張はまったく的を外している。)


相手のヘイトもこちらのヘイトも、どちらも認めるべき。 人の感情を法律で規制しようというのは、どこか歪んだ話になってしまいます。 ヘイトスピーチを禁止する流れは、日本だけでなく、世界中であるように思います。 日本でも、大阪で禁止条例が施行されましたが、これが納得できないのは、外国人への差別は禁止だが「日本人へのヘイトはOK」となっている、と言う事。 その取締基準は不明確のまま。 一節によると、「被差別者が『差別と感じた』らそれはすべて差別である、というような基準だという話も出ている。 在日外国人に「おはよう」と挨拶したら差別として逮捕?! 大阪のみならず、川崎市でも、日本人にのみ適用されるヘイト禁止条例が作られようとしています。

ヘイトスピーチ、「50万円以下の罰金」 川崎市条例素案 | 社会 | カナロコ by 神奈川新聞
川崎市は24日、あらゆる差別を禁止し、根絶を図る「差別のない人権尊重のまちづくり条例(仮称)」の素案を公表した。ヘイトスピーチ対策として福田紀彦市長が導入を明言した刑事罰については、「50万円以下...…
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「ヘイトスピーチはダメ」 ⇒ 分かる   「在日外国人へのヘイトスピーチはダメ」 ⇒ まぁ分かる   「日本人へのヘイトはOK」 ⇒ Why ?!?!?!   誰かこの理屈の論拠を教えて下さい!

これはつまり、自分たちの言論は自由だが、自分たちを批判するのは罰する、というダブスタでしかなわけです。


「人種差別を許すな」は正しい。 しかし、法律等で強制すべきではない。 対抗するには、同じく言論で対抗すればよいのだから。 どちら側の意見であろうとも、言論を規制するのは間違っている。 差別は、実害が出た時にのみ、それについての罰則や賠償を設ける、そうでない場合は、ヘイトスピーチは言論の自由として、とりしまるべきではないと思います。 差別の除去は、表現の自由を否定してまで実行されるべきではない。 誰かの権利を守るために、誰かの口を権力で塞ぐというのは、最も許されない暴力であるわけです。 これこそ、恐ろしい独裁国家のやり方です。 差別表現については、言論で対抗すべき。 暴力行為や実害があったら、それは別の法律で処罰するべきでしょう。


今後、世界は、「差別とは何か」「何が禁じられて何が許されるのか」を明確に定めていく必要がある時代が来ると思います。 基準を不明確にしたままでは、悪用、恣意的運用をする人間が出てくるわけですから。 実はこれは、共産主義思想による、新たな思想侵略なのだろうと思います。 かつて、言論の自由を勝ち取るために長い戦いがあったように、今後は、「差別禁止」を悪用させないようにするための長い戦いは始まるのかも知れません。

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