とある人の体験談を聞いたことがあります。
ある人(Aさんとします)が、自転車で信号待ちをしていたところ、横から親子連れの自転車に突然突っ込まれました。 Aさんは足を打撲したものの、倒れずに持ちこたえました。しかしぶつかってきた親子連れはそのまま転倒し、子供と母親は道路に投げ出されてしまったそうです。 そこで周囲の人が集まってきて助け起こしたわけですが、集まってきた人たちは衝突の瞬間を見ていなかった人ばかりだったそうです。 そこで、転倒した母親は周囲の人に問われて「突然Aさんがぶつかってきた」と答えていたそうなのです。 Aさんは、母親は気が動転しているのだろうと思い、野次馬に対しては説明しても仕方がないので特に否定はしなかったのだとか。 周囲の人が救急車と警察を呼んでいたので、警察官に話をすれば良いと思っていたそうです。 母親と子供は救急車で病院へ、Aさんは警察署へ行き説明をしたそうなのですが・・・ なんと、警察に、Aさんの説明と母親の説明、及び目撃者?の説明が異なっていると言われたとか。 警察官は、最初からAさんが悪いと決めつけているような口調で、いくら自分は停止していたところにぶつかったと説明しても、「オマエがスピードを出し過ぎていてぶつかったんだろう」としつこく詰られたと言います。 Aさんの件は、結局、相手の母親がとっさにAさんのせいにしてしまったと認めたため、事なきを得たそうですが、警察官は最後までAさんを疑ったまま、疑いが晴れた後も特に謝罪もなかったということで、Aさんは怒り心頭だったそうです。
警察の事件の操作や事故処理等の対応では、同じようなことが、時々起こるそうです。 なぜそうなるのか? それは、人間は、自分の間違いを認めたくない、という心理があるからなんだそうで。。。。 最初に、「コイツが悪い」「コイツが犯人だろう」という決めつけがあった。それをベースに捜査・処理を進めてしまった。それを、後から最初の認識が間違っていたと認めるのはバツが悪い、と言う事のようです。 特に書類を作成して報告してしまった後となると、自分の責任問題になり出世にも影響がありますから、認めない警察官が多くなると思われます。 恐ろしいのは、事故の被害者になって自分は意識を失って病院に搬送されている間に、加害者が嘘の証言をして自分が悪いという事にされてしまうケースも有るとか。 怪しい点に気がついてキチンと対処してくれるまともな警察官も多いとは思いますが、不幸にしておかしな警察官に当たってしまった場合は、最終的に無実が証明されたとしても、大変気分の悪い思いをすることになると思います。運が悪ければ、自分が悪いという判断のまま決着されてしまうことも・・・? 冤罪が発生するメカニズムというのは、この最初の判断を認めたくないと言う心理があるようです。
警察官の話だけではんく、同じようなことは、日常的によくある話のようです。 人間、特に警察官でもない一般の人の場合、思い込み、先入観にとらわれて判断することが多いです。 それが、後で間違っていたと言うときに、なかなか素直に自分の間違いを認められる人はいないようで。 (「自分はそうではない」と言う人は良いですが、そういう人も、無意識にやっている場合があるので、謙虚に振り返って見る必要はあると思います) 仮に、最初の認識が間違いであったと認めたとしても、今度は、「そのような認識を自分がしたのには理由があった」と、自分の認識違いは仕方ないものであると、自分を正当化し始める、えてして人間はそのようなもののようです。
ここでひとつ言えるのは、最初に周囲の人に思い違いが発見された時には、即座にそれを否定する、という事も重要だということ。 「ちゃんと話せば分かってくれる」「まともな判断をしてくれる人は分かってくる」などと思って最初の否定を怠ると、後でやっかいな事になるという場合もあるようです。 ボタンのかけ違えは、できるだけ早い内に正しておくのが吉ということですね。後になるほど、掛け違えを修正するのは困難になっていくわけです。 最終的に、意固地に凝り固まってしまう段階に至ってしまうと、もうどうやっても修正は困難、と言う事にもなりかねません。
人間は、とにかく、自分の間違いを認めたがらないもののようです。 歳をとるほどに、その傾向は強くなっていくと思われます。 歳をとってもそのような人間にならないよう、気をつけたいものですね。。。
コメント