「学校に行ってイジメにあって自殺するくらいなら、学校なんか行かなくていい」 と主張していた "不登校少年ユーチューバーゆたぼん" 実はイジメに遭ったのではなく勉強したくなかったから行かなくなった事実が判明、批判・拡散されたせいか、イジメとか自殺は言わなくなった模様? 現在は「不登校は不幸じゃない」と主張 ┐(´д`)┌ヤレヤレ
「批判は気にしてへん」”不登校YouTuberゆたぼん”は今? 父・幸也さん「一つの生き方、ということで見守って」" id="og-title
学校に通わないことを自ら決意、「不登校は不幸じゃない」とのメッセージを発信し続ける不登校のYouTuber"ゆたぼん"こと中村逞珂くん(10)。「学校に行かなくなりました。家でYouTubeアップしたり、全然不幸と思いませんでした。むしろ楽しかったです」(昨年8月の投稿)といった、大人顔負けの主張…" id="og-description…
abematimes.com
「子どもは学校に行く権利はあるけど、義務はないし、大人もそう。大人も学校に行きたいって言ったら行かせる義務がある。でも、行きたくないって言ったら無理やり行かせる義務はない」
↑これは大きな間違いですね。子供に義務はない、の部分は議論の余地があるかも知れない(子供にも義務があるという説もある)ですが 大人(親)には子供が嫌がっても学校に行かせる義務があります。 ゆたぼんの親が本気で大人にも義務はないと言ってるのだろうか? 怠れば、児童虐待。児相はこの子を保護すべき。 イジメに遭って命を絶つことを考えるような状況であれば、学校へ行かない道もあると思うが、それはあくまで緊急避難であって、その場合でも、親には学校に相当する以上の教育を子供に与える義務がある。ただ、「遊んでいたいから学校行きたくない」と言う子供の躾と教育を放棄してよいわけではない。
「学校行かなくても不幸じゃない」 を肯定することは 「面倒くさい、歯なんか磨かなくても不幸じゃない!」 「面倒くさい、風呂なんか入らなくても不幸じゃない!」 「面倒くさい、ご飯いらない、お菓子だけ食べてたほうが幸せ!」 って駄々こねてる子供を肯定するのと同じですよね。 「勉強したくない、毎日遊んでいたい!」 って子供をそうかそうかって甘やかしてるだけ。
海外には、家族のために働かなければならず、学校に行きたくても行けない子供達が居るというのに・・・ その子達は学校に行けなくても不幸じゃないんだろうか・・・? その子達は不幸ですよね?不幸なのはなぜなんだろうか? ↓こんなのを見れば、この子達に謝れ!と言いたくなる・・・
この貧しい子達が、もし学校に行けたらどうしたい?とか「将来の夢」を聞くと、ゆたぼんが愚かであることは自明の理。 後で後悔することになるのは目に見えている。。。 学校に行くというのは、チャンスを与えられる事。未来を、希望を与えられること。。。
「小学校三年生くらいから、学校に行くことに疑問が生まれ始めた」 これは、自我が目覚め始めた状態ですね。 小学三年生は少し早いような気がするが、まぁ成長度合いは人それぞれなので。 人間、ある程度成長してくると、誰でも同じような疑問は抱くようになるものですよね。 子供ならば、最初はやっぱり 『なんで勉強しなくちゃいけないの?』 さらに突き詰めていくと、 「なんで人は生きているの?」 「なんのために人は生きているの?」 「人は(自分は)どこから来たの?」 みたいな疑問に。。。 答え、出ないですけどね(笑) 出ないけど、それはずっと考えつつ、とりあえず置いといて、人生やってくわけです、みんな。 そこで「じゃぁ止めた」ってしてしまうと、その先がすべて止まってしまう。 子供の頃に培っておかなければいけない事を、子供の頃にしか培えないものを、すべて失ってしまう。 大人になってから、それを得ようと思っても、子供の頃でなければ得られない事に気付いて後悔することになるわけです。
漠然とした話ではなく、これは物理的・体力的な話です。 例えば、成長期にまったく運動していなかった人間が、大人になってから体を鍛えてスポーツ選手になりたいって思ったって無理です。 大人になって成長が終わってしまってから、いくら必死で鍛えても、根本的な素地が育ってない、貧弱なままだから、本当に苦労することになるわけです。 社会に出れば、体が資本、どんな仕事に就いたって、良い仕事をするには、体力が絶対に必要です。 そしてそのベースとなる体質・素地は、成長期に負荷を掛けることでしか培えないものです。 頭脳だって同じ。子供の頃に、繰り返し反復の努力をさせられる事が、体力だけでなく、知的な作業においての地力を培います。脳も成長期に成長する。その時に、脳を使う訓練をしておかないと、脳の地力が伸びない。大人になってからそれを伸ばそうとしても、やはり難しいということになるわけです。 大人になってからは、その時点で持っている体力・知力の中で、うまく回していく努力をすることになるわけですね。持っている体力・知力のキャパ自体は、大人になってから増やすことは、できないとは言わないが難しいわけです。 (子供の頃、たくさん本を読んでおかなかった子は、大人になってから、文章の仕事に就いても困難が生じる。未だに、文章力については子供の頃に培われた実感がありますからね。)
余談ですが、この自我の目覚めという現象を、霊魂学的に解説すると、これは、幽体が自己主張を始めるから、と言えます。 幼いうちは肉体も小さく弱く、親に依存しながら、親に従いながら生きるしかないわけですが。 ある程度肉体も大きくなると、これまで押さえつけられてきた事が、我慢しなくてもよいのではないか?と言う事に気づき始めるわけです。 その事に幽体もやがて気づいて、これまで押さえつけられてきた不満が噴出し始め、ワガママを言い出すのですね。 その不満の噴出が激しく起きると反抗期になるわけですが。 面倒くさいとか、勉強したくないとか、努力したくないとか。気持ちいよい事だけしていたい、とか。そういうのは、幽体の意識の主張なわけです。 その時、幽体の主張と、理性的な部分との葛藤が起き、幽体と戦い、幽体を教育していく。幽体にも適切に栄養が与えられ教育され成長していくことが、人間の成長なわけですが。 これが出来ていないと、大人になっても中身が子供のまま、ワガママが抑えられない超我儘・自分勝手な大人になるわけですね。
甘やかされてしまった "ゆたぼん" が、大人になった時に、自分が抑えられない我儘な人間になってしまわないと良いのですが。。。
コメント