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敗戦の日

PC/ネット
そういうウィットのある表現は好きです(笑)
pic.twitter.com/FoSSI990bR

— よっちゃん平八郎🇯🇵 (@yosshi_dayon) August 15, 2019
子供の頃、こういう風景を見たら怖かったと思う。
右翼、軍国主義、戦争が好きな乱暴な人達?

やっぱり洗脳されていたのだと思うけれど

実際、当時の右翼は街宣車で大騒ぎするヤクザと同じような集団だったし

でも、今はこの風景を見ると嬉しいし、安心する。

韓国の旗やハングル文字や簡体字のプラカードが並んでいたら緊張し、警戒してしまう。

終戦の日ともなると、戦争に関する様々な意見がSNS等で散見される。

それを見ていて、ふと、違和感というか、素朴な疑問が浮かんでくる。

憲法改正に反対の人達が居る。「日本政府が二度と戦争をしないために平和憲法を守らなければならない」と言う。

しかし、戦争には2種類ある。自分達から他国を責める戦争と、他国が自分達の国を攻撃してくる戦争である。

戦争反対論者は言う

「戦争になったら、私達や私達の子供が戦う事になるのですよ?」

しかし、他国が侵略してきたら?

私達の国に他の国が攻め込んできて、国民が蹂躙虐殺され始めたら?

戦争反対、「戦うのは嫌です」「戦争は嫌です」と言って、自分の子供達が殺されていくのを黙ってみているのか?

目の前で、自分の子供や家族親戚が殺されそうになったら、守るために戦うのは当たり前でしょう。たとえ自分は死ぬかもしれなくても、子供の命を守るためなら必死で戦う、それが人の子の親の当たり前の姿。

「殺すより殺される方がいい。」と言うキャッチフレーズを左翼系団体が謳っていた事があるが、守るべき家族がある人で、それに賛同できる人などいないだろう。

しかし、現在の日本の状況(憲法)は、あたかも、日本が武力を持ってはならないという様に解釈されている。

憲法改正に反対する、平和憲法を守れと言う人は、日本を守るための武力を持つことすら否定する。

しかし、自分と家族の命を、(自分だけじゃない、他人の命も)守ることは、人間全員が持つ当然の権利である。

軍隊があるから戦争になる?

軍事力を持たなければ、「ラッキーありがとう」と言って領土を占領され皆殺しになるだけ。

現実に、日本も自衛隊を持ち、かつ、米軍基地があることで、他国の侵略を免れている。

日本は、海に囲まれている事が幸いしているが、覇権主義の思想が根底にある国や、「友人のモノは自分のモノ」という文化の国や、「戦争して領土を奪うのは正当な行為」と主張して憚らない国と隣接しているのだ。

完全に非武装地帯になったら、あっというまに占領され消滅してしまうだろう。
「戦争で他国の領土を奪うのは正義」という価値観の国がある以上、そんな理屈は通用しない。
そこで浮かぶ、素朴な疑問。

何故、憲法を「日本は他国を侵略しない」という内容に改正するのではダメなのか????

なんで日本は武力を持ってはいけないって事にしたいのか???

その理由は・・・大部分の人が、日本を侵略したい国の意向を受けている者たちのプロパガンダだという結論に達する。
かつての日本の戦争は、正義であったと言う意見もある。事はそう単純ではないので、褒められた話ではない事も多かったろうとは思うが、一面として、正義・大義があったのも事実だろう。

アジア諸国はすべて白人の植民地だった。それらが開放され、地球上から植民地がなくなったのは、あの戦争で日本が戦った事が契機であったと言う評価は、アジア各国から聞かれる。

しかし、今後は、「日本は、二度と、"侵略のための"戦争はしない」という事で、良いのではないだろうか?

武力の放棄は、悪人にとっては格好の獲物となるだけである。

SNSで平和主義者の方とコミュニケーションしてみて感じたのは、若い(実年齢が本当に若いのかどうか分からないが・笑)人   よく、「お花畑」という言い方をするが、人がすべて善であると信じているような、ある意味「純粋な人」が、そのような(まさにお花畑の)思想を熱く語るのが分かった。

人間は(ほとんどが)善い人のはずだ。
話し合えば必ず分かりあえる。人は仲良く協力しあって生きていける。
憎み合うなんて悲しい、そんな議論はしたくない。
最初から人を憎んでどうするのか、壁を作っている人と仲良くしたいと思う人など居ない。

と、熱く理想論を語る。

世界から国境はなくなればよいと思っているのだそうだ。いつか、未来において、それは実現できると信じている。

政治は性善説でやってはいけない、と言うと、「それは古い考え方だ」と言う。

おそらく、人に裏切らた経験などほとんどない、純粋な人なんだろうと思う。社会経験が浅く、あまり人間関係で苦労した事がないのではないかと思ってしまうが(^^;)

長い間、歴史の積み重ねの中で、政治は性善説でやってはいけないという結論に達したのだと思うのだが。。。

確かに、悪い人ばかりではないだろう。

仮に、100人中99人が善人であっても。あるいは1000人中、999人が善人であっても。

一人、悪人が混ざっていたら、その悪人が、残りの善人の誰かを殺すかも知れない。

そして、一人でも殺されれば、なぜ対策しなかったのだ?と責められるのが政治である。

悪い人がいる可能性があるから対策をする、それが性悪説。

性善説で、悪い人ばかりじゃない、少数の悪人だって、話し合えば分かりあえる、根は善い人だよ?
多少人が殺されても、それはたまたま。人間というものを信じて、そのまま放置でいいじゃない?

などと言えるのならよいが、そうではない。
たとえ一人だけでも、命は重い。それが失われる事は可能な限り避けなければならない。

そのために、街には警察組織を準備し、国境には軍隊を準備して防衛を考える必要があるわけで。

さらに言えば、人間は単純に「善」と「悪」に分けられるものではない。

これは、社会の中で、人間関係で悩んだ経験が多い人ほど理解できると思う。

意見の対立は、どちらが正しくどちらが間違っているのではない、両方とも正しい事がほとんどなのだ。

ましてや、国が違えば、宗教も文化も違う、価値観が違う。

それは、善悪ではなく、文化・価値観の違いでしかないのだから、善悪ではない。

例えば、日本やアメリカであれば、「嘘はついてはいけない」「嘘は悪いこと」という価値観がある。

しかし、国が違えば、「嘘は知略」「嘘が上手な人は賢く立派な人」という価値観があったりする。

宗教によっては、

自分達の神だけが唯一の神であり、他の神は邪なる存在。邪教を信じるものは殺してもよい。むしろ、殺してあげることが、その人間の魂を救う、尊い行いとなる。

という教義であるケースもありうるわけで。

そうなると、熱心な信者であるほど、「異教徒は殺せ」と過激に走る可能性が高くなったりもする。

価値観の違う人に、それが正義だと信じ込んでいることを、それは私達の基準では悪なんですよ、と言う事を理解させるのは、困難を極める。

純粋は人は言う
「難しいからやらないなんてダメだ。試行錯誤を繰り返し、いつかは実現するために努力を続ける事が大切なのだ」

いやいや、いつか、未来において実現を目指すのは素晴らしいが、実現するまでに、自分の子供達が殺されてしまったら本末転倒では?と思うのだが・・・

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