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イジメも表現力があればアートである?

表現の不自由とたたかう前に、暴力の自由とたたかえ|春名風花|note
わたしが福島三部作の稽古にうんうん悩んでいた頃、ちょうどTwitterでは表現の不自由展について、連日熱い議論が交わされていた。話題に追いついたころにはほとんどの意見が出揃っていたので今更?と思われるかもしれないが、遅れてきたわたしにも一言だけ言わせて欲しい。 未だに反対派と擁護派が「作品の善し悪し」について喧々諤々揉めていたり、口々に「助成金を貰うことの善悪」や「中止すべき・展示すべき」論を延々と語っているが、不快だ!不敬だ!いや違う表現の自由だ!と揉める前に、もう一度タイトルを良く読んでいただきたい。あの展示会は最初から、表現の自由を主張することを目的としていない。表現の自由展…
note.mu
うーん、惜しいなぁ…

いろいろと突っ込みたくなるw

私も、「こういう前提ならこうでしょ?」という話し方をする事があるので、理解はできるけれど。

そういう論法の場合は、前提が変われば結論も変わってくる。
勢い余って「こういう前提なら」を省略して断定口調になってしまうと、誤解を生じる(笑)

今回は、複数の箇所で、間違った前提を元にしてしまっているように見えます。

「展示に反対した人達の意見」について、「もしこうなら」というのが抜けてしまって「レッテル貼り」になってしまっている。

大部分の人が展示すべきじゃないと思う "公式な" 理由は、「不快だから」ではないし「芸術じゃないから」でもないですよね。。。

その本当の理由について言及されてないのは、春名風花氏がそれを理解できていないのか、あるいは、それは本旨ではないから無視したのかは分かりませんが・・・

忙しい舞台公演の準備の中、ちょっと思慮が粗くなってしまったのかも知れませんが(^^;)

反対派の主流の意見は、厳密に言えば、「展示をやめろ」ではないわけで。

津田監督や大村知事は「言論の自由が侵された、検閲だ」と中止後に主張していましたが、

「私費でやる分にはどうぞご自由に」というのがほとんどの人の意見でした。

津田大介氏や大村知事がポケットマネーで会場を借りてやる分には、日本の法律上、なんら問題はないわけです。

私設美術展についての抗議であったなら、春名風花氏の主張もほぼ全部当てはまると思います。

しかし、公金を投入しての展示ではまずかった。

一般のテレビ番組等でも、商品の宣伝になるからスポンサーは金を出すのであって。作られた番組が自社の製品を中傷する内容であったら、その内容が事実であるかに関わらず、企業はスポンサーから降りるのは当然の結果でしょう。

税金を投入されるということは、スポンサーは税金を払っている日本国民なのだから。

そういう意味では、日本国民が不快になる展示をすべきではない。否、展示はしてもよいが、公金は投入するな、と言う話。

菅官房長官は、愛知県に対して交付される予定だった補助金について、「内容を吟味して適正に判断する」とコメントしていますね。
審査過程をチェック 「表現の不自由展」中止で文科相方針
愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で、元慰安婦を象徴する「平和の少女像」や昭和天皇の肖像を燃やすような動画作品などを展示した企画展「表現……
www.sankei.com

それを受けて、慌てて展示中止の判断をしたのは大村知事。そして「検閲だ、言論弾圧だ」などと言い出したわけですが、単なる言い逃れの言い訳であるのは明白でしょう。

つまり、検閲や言論弾圧などなかったわけで。

スポンサーの不評を買うような展示を行って、金を引き上げられそうになって慌てて中止した、と言うだけの話。

春名風花氏は現在、舞台女優をやっているのだから、開催にあたってスポンサーがついていると言うケースを考えれば分かると思いますが

そのスポンサー企業の製品を誹謗中傷するような内容の演劇を行うことは可能か?と言う話。

これは、言論の自由の問題ではないですね。

スポンサーなどいらないと言う状況であれば、思う存分、自由にやって下さい、と言う事になりますから、言論の自由は保証されています。

やっちゃダメ、と言う事ではない。

実は「公金でやっちゃダメ」というわけでもない。

これに関しては、橋下徹氏も解説されていますが
橋下徹「津田大介さんはどこで間違ったか」 必要なのは「手続き的正義」の考え方
(略)8月3日、現代アートの大規模な祭典「あいちトリエンナーレ2019」の一環として公開されていた「表現の不自由展・その後」という展示が、地元の河村たかし名古屋市長や現役閣僚を含む各方面からの批判を受け、……
president.jp
公金でやるなら、バランス感覚を欠いてはダメ、だったわけですね。

春名風花氏本人も書いているとおり
やるなら、反対意見も同時開催すればよかったわけですね。

ドイツのように、同時に「大日本礼賛展」をやるとか(笑)

さらには、表現を封じられた作品展ならば、「南京大◯◯」問題や、ホロコースト否定論(廃刊に追い込まれたマル◯ポーロについて)とか、ネオナチなどのナチス礼賛についても、対比として展示してれば、批判はあっても、許された可能性は高いでしょう。

それどころか、津田氏はむしろ、アンタッチャブルに挑戦するヒーローになれたと思います。その勇気がなかったのか、単にそこまで気が回らなかったのかは分かりませんが。

ここには不愉快なものしかありませんよ、アウトとされたものですよ、とタイトルにハッキリあるのだから、いまさら議論するまでもなく不愉快なのは当たり前なのだ。

ここには死体が有りますよ、と言っているのに、わざわざ死体をみにきて「気持ち悪いものを見せるな!」と怒っても仕方ない
これは、確かに!
同意します(笑)
「不快になるかも知れないが、見て、知って、考えよう」という展示なのではないのだろうか。「不快なものを知る権利」その企画意図が認められたからこそ、不快なものにも税金が投入されたのではないだろうか。
前述の通り、公金で "偏った" 展示はダメだったわけです。「見て知って考えよう」なら、やはり対比として反対の主張も展示すべきだった。

偏った展示だけでは「考えよう」にならないですね、それでは「洗脳」と言われてしまいます。
人間は「見てはいけません」と言われたものほど見たくなるし、「表現してはいけません」と言われたものほど、より強烈に描きたくなる。
これは、分からなくはないですが(笑)

ただ、タブーと、自分を誹謗中傷している内容とは、また違う気がしますけどね。

例えば、自分をイジメている相手が、自分の悪口を書いてそれを被害者に「オマエは見ちゃだめ」と言われているケースと考えたら・・・?
~誰もが正しいと思うことを描いていても、はいそうですね、としか思えないものは芸術でもなんでもない。危険思想をまき散らしているものであっても、そのセンスが最高にエモければそれは芸術作品となりうると思う。
今回の展示は、エモいかというと、それほどセンスが良いわけではなかったように思いますが。「こんなの芸術じゃない」という意見は、そのレベルの低さについて突っ込まれたものでしょう。
アートかそうでないかは、社会的に正しいか正しくないか、人を傷つけるか傷つけないかではないのだ。
なるほど・・・

私は、「芸術は何か?」という事については「よく分からない」のですが。

ただ、

「芸術か否か?」

と

「芸術でないものは展示すべきじゃない」

という議論は、実は違う議論なんじゃないかと思います。

そこをごっちゃにしてしまっているので、話が水掛け論になっている気がします。

春名風花氏はいじめ問題にずっと取り組んでいますが、その理屈で行くと、イジメの加害者が「これは芸術だ」と言ったら、イジメも芸術になってしまう。

そこにエモい表現力があって、見るもの(イジメ被害者)が激しく心を揺り動かされるものであれば、それは芸術である、と言う事になりますか。

ただ、やっぱり「イジメもアート」と言われると、意見が別れるところではないですかね?

そして、それが仮にアートだとしても、それを展示してよいかはまた別の話なわけです。
作品無きいま議論すべきは、ガソリン持って行くとFAXをし、展示会の会場ごと燃やしてしまおうとした「現実に鉈をふりまわしている犯人」が、展示会の中止を求めた人たちにとって、まるで「正義の味方」かのように崇められていることの怖さ、の一点のみである。
いや、なんで、展示に反対した人が「脅迫犯を正義の味方と崇めている」事にされてしまってるのでしょうか?(笑)

ほとんどの人はそうは思ってないと思います。

「正義の味方」のように崇められている "としたら" という文章だったら良かったと思いますが、これは言葉尻を捉えた揚げ足取りになってしまうでしょうか。
「いじめられる側にも原因があるから、脅迫されても自業自得だ。」~そう考えている人がこんなにいるのは本当に恐ろしい。
脅迫を良い事とか当然とか自業自得とかは思いませんが。

その前に、今回の件では、イジメ加害者が展示の主催者側で、イジメられたのは税金を払っている国民の側だと思うので。

いわば、イジメ被害者が泣き寝入りをせず声を挙げた、という状況ではないかと思います。

大村知事と津田監督は自分たちが被害者であるかのような主張をしていますが、それは単なる言い逃れとも見えるわけで。彼らを被害者として扱ってしまうと、まんまと乗せられてしまっていると言えるかも知れません。

さらに言えば、イジメ被害者になった人は脊髄反射で「イジメられる側に原因がある」論に過敏に反応しますが、それはまちがった判断をする可能性があるので危険です。

これは、実は、犯罪の捜査でも同じで、加害者が逃れるために自分が被害者を騙るというケースはよくあるのです。

中国ではこれを「賊喊捉賊」(ぞくかんそくぞく) と呼ぶそうです。

だから、警察は「アイツが犯人だ!」と言われた場合、犯人と言われた人を取り押さえますが、同時に必ず、犯人と叫んだ人の身柄も押さえておく必要があります。

それが守られなかったために、犯人を取り逃がした上、無実のお爺さんが死んでしまった痛ましい事件もありましたよね。

加害者側からも、被害者側からも、それぞれ言い分を聞き、事実を客観的に調べて「公正・客観的」に判断しないと、嘘をついている人間に騙される事になってしまう。

まさに、今回もそれと同じで、「公正」に扱われる事が正しいのであって、どちらか一方を「正しい」または「間違っている」と断じて論を展開するのは危険だと個人的には思います。

それと、これははっきりしない、証拠のない話なので、あくまで信憑性はない単なる噂程度の話ではありますが、大村知事が「脅迫を受けた」という話そのものが「狂言ではないか?」という意見も出ていますね。

警察に相談したなら、証拠が残っているはずですが、証拠のFAXは燃やしてしまった、メールは削除してしまった、「警察に相談した」と言いながら、実は被害届は出していなかった、など、おかしな点があるのだとか・・・

おかしいと指摘されて、慌てて被害届を出したようにも、見えなくはないですね。

真相は・・・闇の中、ということで終わりそうですが。。。

さらにさらに言うと

「表現の自由」を今回訴えている津田大介氏は、ヘイトスピーチを規制すべきとずっと主張していた人物で。

百田尚樹氏の小説の不買運動をしていた事もあるとか。
個人的には、表現の自由を訴える人が、ヘイトスピーチ規制を訴えるのは、ダブルスタンダードだと思えます。
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