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歳をとっても若い柔軟な心を維持するには

政治・経済・法律霊魂学(古神道)
保守系の思想の人達はちょっとした意見の相違で仲違いをする人が多い。
という話を聞きました。

お互い国を良くしたいという思いの方向は同じなのに、何故、すぐ仲違いするのか?と。。。

いえいえ、それは保守に限らないように思います。

左翼系思想の方々も、よく同じような事(内ゲバ)してますよね。

それ、人間の「あるある」だと思うんです。

人は、真剣であるほど、譲れない・・・

自分は宗教家なので、よく分かります、よく、経験するのです(笑)

熱心な宗教家ほど、くだらない争いをする(笑)

それはなぜかと言うと、真剣に信じている人ほど、「妥協ができない」「過激に走る(原理主義)」「間違いが許せない」と言う傾向があるようなのですね。

"協力" ができる人達というのは、実は妥協ができる人達なのですね。

そして、それは、目的が「お金」など、思想信条ではない場合のように思います。

誰でも、仕事なら、意見が違っても最終的にお金を貰えるなら妥協しますよね(笑)

宗教の場合、異なる宗教の人とはあまり争わないような気がします。

違う神様を信じているので、争ってもお互いに変えようがないのが分かっているので。

ところが、同じ宗教の信者同士となると、どこも争い事は多いようです。

まぁ、カルトじゃない健全な宗教ほど、そうなるのですが。

カルトだったら、上から「正しい答え」を強制されて終わりなので、争いにはならないので。

カリスマ的な指導者が居て、組織化がしっかりして上下関係が厳しいところほど、争いごとは起きないわけです。軍隊の中で部下が上官に逆らうなどありえないのと同じですね。

ところが、そうではない普通の団体ほど、同じ宗教、同じ教義のはずなのに、人それぞれで違う「解釈」をしてしまうようです。

厳しく過激なイメージの某宗教でも、同じ経典を読んでいるはずなのに、まったく正反対の事を言う人達が居て、相容れないのだとか。

例えば、ある人は、「異教徒は殺せ」と経典に書いてあると言い、別の人は「そんなことはない、争いを避け、暴力を避け、人々と調和することが大切」と言う。どちらも、「そう経典に書いてある」というのです。。。

どれほど立派な教義があろうとも、それを解釈するのが人間である以上、正反対の解釈になる、という事がありうるようです。

宗教では、時に殺し合いにまでなる。
それで戦争まで繰り返されている。
強く信じている、狂信的な人ほど譲れない。

でも、仕事では、そこまでの争いにはならない(笑)

それは、仕事はあくまでお金のためであって、思想・信条で争っているわけではないからですね。

お金が目的の場合は、赤字になった時点で終了ですから。

思想信条(宗教)を守ることを目的にしてしまうと、争い事が起きる。つまり、政治的思想も、あまりに強く信じてしまうと、それは宗教と同じになってしまうのだろうと思います。

よくデモなどを行っている左翼系の団体の方々は、争いごともなく団結しているように見える。それに比べて、保守の人達は、言い争ってばかり~というように見えることあるようです。

それはなぜなのか?

それは、彼ら(デモなどをやっている左翼系の活動家の方々)は、多分、お金で動いているのだろうと思っています。デモなんかバイト代が出ているとか?(笑)

デモ活動が行われた場所の近くの公園で、バイト代の明細書が捨てられてるのが見つかったなんて話も(笑)

デモに参加している人は、仕事から引退した老人ばかりという話もよく聞きます。

生活が苦しい所に、デモに参加するだけで割と良い日当がもらえるとなると、暇だしバイトがてらに参加するか、と言う事になるわけですね。

そういう人達は、お金貰えればなんでもいい。例えば、保守系/右翼系団体のが企画したデモであっても、彼らのうちの何人かは、お金さえ出せば参加するのじゃないかと予想しています(笑)

お金もらうためにやっている、だから、考え方の違いで反目しあう事もなく、協調して行動できる。おまけにそこで活動すると「仕事仲間」もできて、食事やお酒も貰えて楽しい。

これは、手強い(笑)

政治・宗教の話とは変わりますが(笑)

私は武道をやっていた事もあったのですが、そちらの世界では興味深い体験もありました。

考え方が絶対に相容れない、性格が合わない、絶対に和解できないような相手でさえ、本気で殴り合った(試合した)後は、お互いを認め合うことができるようになるのです。

全力でぶつかって、それでも相手が強かったので、それを認められるからなんだろうと思います。

殴り合いの場合は、実にストレートですよね。

よく男の子が殴り合って友情を深めてしまうというのは、実は自然な事なのです。

ところが、思想信条のぶつけ合いの場合は、スポーツなどと違って明確な決着がつかない。

殴り合っているわけではなく、口論だと、そこまで相手を認める気持ちにはなかなかならないようです。

芸術系もそうなんですよね、100人居たら、100人がナンバーワンの世界。

明確な基準がないから、勝負がつかないので、争いは永遠に続く。。。

それでも、仲良くできる人、考え方の違う人を許容できる人は、器がかなり大きい人と言えると思いますが、柔軟性がある、とも言えると思います。

柔軟性があるというのは、若いと言う事でもあり。
老化すると、頑なになりやすいと言う傾向は、あるように思います。

仕事で年配の人を部下に使っているので、それもよく分かるところが・・・(笑)

若い人は素直に指示に従えるのに、年寄りほど、それができない(笑)

「その指示は正しくない」
「自分は気に入らない」
「だから指示には従えない」

と言って、年下の上司の命令が聞けない(笑)

ワガママだなぁと思いますが(笑)

仕事なのですから、それが正しいかどうかは問題ではなくて。上司の指示や、お客さんの要望には、間違っていても答えなければならない事もあるわけです。

それでお金が貰えれば目的は達成されるわけですから、正しさにこだわる意味はあまりない。

なんで従えないのかなぁ、と思うわけですが、見ていると、単に老化というわけではないようにも思いました。

人間、歳をとると、だんだん、叱られることが少なくなっていって。
自分の価値観も、自分のやり方も、しっかり固まってきて。
偉そうにできる立場になってる人が多い。

そういう状況に慣れすぎてしまっていて、若い頃の気持ちを忘れてしまったのではないかな?と思うのです。

親が子供に謝れないというもの似たようなケースかも?(笑)

若い人は、自分の価値観が固まっていない。

まだ何が正しいのか(正しい仕事のやり方が)分かってないので、先輩や上司の指示に、とりあえず信じて従ってみるということができる。

しかし、職人気質に自分のやり方が固まってしまってる人に、別のやり方をさせようとすると、なかなか難しい(笑)

これまで努力してきて、自分の技術を確立し、プライドを持ってやってきたのに、新しいやり方を一から覚えるとなると、未熟な後輩と同じスタートラインに立つことになる。
歳をとって記憶力も衰えてしまい、若い人に馬鹿にされることすらある。
だから、新しいやり方に抵抗がある、というのは理解できます。

理解できるので、できるだけ尊重しますが。
しかし、仕事なので、客から理不尽な要望をされることもよくあるわけで(笑)

納得のできない仕事のやり方を頼まれた時、それを、「手は抜けないから断る」というのも人間として正しい道なのかも知れませんが、大勢に影響はない範囲であれば、コストダウンの要望に答えるのも大人の判断な場合もあるわけです。

それができなくなった時、老化したのかな、と思うようにしようと自分では思っています。

妥協できない、柔軟性が亡くなった、自分と異なる考え方や価値観が認められない。そうなったら、赤信号かと。

いつまでも、若い人と同じメンタリティで居たいですね。

常に、何が正しいか間違っているかをすぐに断じるのではなく、自分と違う基準や価値観でも、とりあえず信じて従ってみる、という姿勢は大事。

若いメンタルを意地するためには、プライドが邪魔なのかも知れませんね。

間違いは素直に認める、これが大事かと(笑)

ところで、本当は間違っていると思っていたはずなのに、気がついたらどっぷりと正反対の思想に染まっていた、という現象は、あるんじゃないかと、左翼系の論客となっている芸能人などを見ていて思いました。

例えば、仕事が減って、お金に困っていて。そんな時に、左翼のデモに参加したり、左翼系の思想の擁護発言をしてくれたら大金をあげますよ?と言われたら?

一回だけ、目をつぶって協力しちゃったりする人が居たとしても、仕方ないと思うんです。

それは仕方がない、お金のためですし。

ところが、そこからが問題が起き始める。なぜなら、人間、自分が間違ったことをしたとは思いたくないものだから。。。

左翼系活動に協力したのは、仕方なくであって、決して思想は正しいとは思っていないのに、それを責められた時、人はどうしても、言い訳を始めてしまう。

素直に間違いを認めて謝れた人は良いですが、言い訳を始めてしまった人は、言い訳のための材料を探し始めるわけです。

自分にも言い分がある。
左翼系思想にも「正しい部分」はある。

と、左翼理論の正しいと思える部分だけをキュレート(集め)し始めてしまう。

間違っている部分や、反対の思想の正しい部分は、「言い訳」に使えないので、とりあえずスルーです。

「正しい部分」ばかりをたくさんたくさん集めてきて、それを主張するようになる。

気がつけば、立派な左翼系論客のできあがり。

もう、後戻りできない。ひたすら、左翼系思想の正しいところにだけ目をやり、自分は間違ってないと、自分に言い聞かせ続ける。。。

※デモとか反対運動とか、いわゆる「活動家」というのはどうしても左系が圧倒的に多いので、つい左翼系思想と言ってしまいますが、右でも左でも同じことは起きると思います。

その状態を長く続けるほど、後戻りできなくなっていく。
自分の人生、自分の行動が、間違っていたなんて、誰も認めたくないですからね。。。

そんな感じで、ハマっていくというケースが、特に芸能人などは結構あるんじゃないか?と思いました(笑)

一番最初の小さな過ちを、言い訳せずに素直に認められる事が、若い柔軟な心を保つためには大切なんじゃないかな、と思います。

ボタンの掛け違いは、一番最初に訂正しないと直りませんね(^^;)

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