人間は、物質の肉体のほかに、幽質の身体(幽体)というものを持っている。幽体は、肉体と重なり接着されており、その接着剤を霊魂学では「間気」と呼んでいる。 間気は、気功法などでは「内気」や単に「気」と呼ばれている場合がある。 他にも「幽気」や「霊気」「神気」など異なる種類の「気」があるのだが、そこまで理解している人は「気」を扱っている人でも多くはないように思える。 幽体が傷ついたり弱ったりすると、生命力が弱まる。また間気が不足したりすると、肉体と幽体の接着が弱まり、幽体がズレやすくなったり、幽体からの生命力が肉体に伝わらなくなり肉体が病気になりやすくなることもある。 肉体が滅んだ後は、人間は幽体のみを使用して(別の次元の世界で)生きていくことになる。
「肉体」と「幽体」以外にもう一つ、人間は霊質の身体「霊体」を持っている。 宗教が廃れ、霊的な栄養の少なくなってしまった現代人の場合、霊体が発達している人は少なくなってしまったらしい。成長していないどころか、霊体が存在しないかのような状態の人も居るらしい。 この霊体は、かなり高次元の、物質とはかけ離れた次元の身体であるため、意識される事が少ない。 しかし、高度な次元の身体であるがゆえ、これが発達している人は、高度な精神的影響があるという。 霊体からの意識が肉体の表面意識に強く主張してくる時、人は、例えば神を敬うというような心情が出てくる。 語弊があるかも知れないが、分かりやすく言えば「良心」のような心があるかどうかは、この霊体の発達具合によるのではないかと、個人的には想像している。 歴史に残るような、宗教的あるいは人道的な活動をした人などは、もしかしたら霊体が発達し、その意識が強く発現した事により、そのような人生を歩むことになったのかも知れない。
この霊体の意識が発達してくると、不思議な事が起こるようになるとも聞く。 それは、直感的に、何が正しいかを見抜いてしまう事があるのだそうだ。 理由は分からない、なんの根拠も理屈も通っていないのだが、それが正しいと分かる、正しい選択をしている。 (理由が分からないので周囲の人間には理解されないこともあるかもしれない。) 最近、陽明学という東洋の学問・思想があると知ったが、その中に、「良知」なるものが語られているのだとか。 この良知というのが働いていると、理由は分からないが、無意識のうちに正しい選択・行動をしているのだとか。 私は陽明学についてまったく詳しくないので知らないが、もしかしたら、霊体の意識の発現を、無意識のうちに見抜いて、そのように表現したのかも知れないなぁ、などと思ったり。。。
「宗教」もそうだが、人間は、理屈ではなく、何かが正しいと「直感」する事があるのだと思う。 それが霊体の意識なのか、あるいはもっと違う人間の超常的な判断力なのかわからないが。 「霊魂学」とは霊的な身体や世界の解剖学のようなものだと私は思っている。 これは江戸時代以前から古神道の中で語られてきたものであるが、もしかしたら、陽明学などの古い学問や思想とも、影響しあっているのかも知れないですね。。。
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