#さまーずの神ギ問 最後のテーマは・・・ 『守るものがある人と失うものがない人はどちらが強いか?』 その中で、専門家として、僧侶と精神科医、スポーツ選手と哲学者が答えていたが、3対1で「守るものがない人間のほうが強い」と語っていたけれど・・・ 情けない・・・(ーー;) なんて薄っぺらい、底の浅い回答なのか・・・ 特に僧侶・・・ なんだか僧侶が答える様子が、斜に構えてまるで社会に不満のある厨二病のヲタクみたいに見えてしまいました(失礼) 「執着を捨てる事が大切なんだ」と宗教的な境地を語っていたのだと思いますが・・・ 「執着を捨てる」言いたいことは分かりますが。 でも、それは、この質問の答えとしてはおかしい。 極論ですが、例えば、生命に対してさえも執着を持たなければ、死に物狂いで頑張ると言う事はできなくなるのではないか?ギリギリの状況で、簡単に諦めてしまう事にならないか? 例えば、家族への愛も執着であるとして切り捨ててしまえば、家族が眼の前で苦しんでいても、殺されようとしていても、涼しい顔で気にしないという事にならないか? 私には仏教の極意?はよく分かりませんが。 全ての執着を捨てる、生命への執着さえも捨て死さえ受け入れるというのが、究極の悟りであるというのなら、それは裏を返せば、何についての意欲もなくすと言う事にならないか? 何にも欲しがらない者は、ある意味、絶対に失敗や敗北はないわけですから最強とは言えるのかも知れませんが---勝ちも負けも強いも弱いも何もないのですからね。 でもそうなってしまうと、存在している意味さえないような気がしてしまいますが。 僧侶がみんなあんなだと思われたら、他の僧侶にとっては心外かも知れませんね。
そもそも、この議論には大きな矛盾がありますね。 最後に、戦争経験者が出て来て「何も失うものがない人が強い」と言っていましたが、いや、その前に、「国ためなら死んでもいいと思っていた」と言ってましたよね?そう、国を守るために、死ぬ覚悟をしたのではないですか・・・ 例えば、家族を守るために、己の命を捨てる覚悟がある、という人の場合はどうなのでしょうか? 自分の命さえも捨てているのだから守るものがない?でも、その捨て身は家族を守るためなわけで、矛盾した話になってしまいます。 そういう極限の状況を考えた時、守るべきものがない、ある意味いつでも簡単に全てを諦められる人よりは、家族など守るべきモノのために我が身を捨てる、と言う人の覚悟のほうが強いのではないかと思いますね。 そもそも、守るべきモノがない人は、そのために己が身を捨てると言う発想は出てこないわけですから。 やはり、私は絶対に、守るべきものがある側だと思いますね。
哲学者の回答だけは、なるほど!と思いました。 「守るべきものがある人は、そのために力を合わせる事ができるから。」 家族を守るために、警察を組織したり、軍隊を組織したりして、一人ではできない大きな力を発揮することができる。 人間というのは、十人十色、百人百色、絶対に意見の完全一致はありえないものだと思いますが、守るべきものという共通点があることで、考えが違う人間も、団結・協力することができるわけです。 実に合理的な回答ですね。
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