「道徳教育に関して、強制するなという人権派の声がある」という話を聞きました。 「悪いことをしてはいけない」という事を、強要するな!! ・・・? この話、一瞬、何を言ってるのか分かりませんでしたが。 なぜそうなるのかというと、どうやら、正しいこと、悪いことの定義が、人によって異なっているから、と言うことのようです。 「悪いことをしてはいけない」は正しいとしても、悪いことの定義が人により、国により宗教により異なっているので、そのどちらが正しいとは言えないだろうというわけですね。 しかし、これを認めてしまうと、困ったことになる気がします。 例えば、日本人は基本的に「人に迷惑をかけてはいけない」「嘘をついてはいけない」と言う教育を受けると思います。 しかし、国が違えば、そのような価値観もない事があるのだとか・・・
中国ではウソは“最大の文化” だまされる者こそがバカ 石平さん「中国五千年の虚言史」:イザ!
「南京大虐殺の30万人の犠牲者」「尖閣諸島の領有問題」…なぜ、中国人は明らかなウソをつき、何ら恥じ入ることがないのか?それは「ウソとだまし」こそが、中国最大の文…
「南京大虐殺の30万人の犠牲者」「尖閣諸島の領有問題」…なぜ、中国人は明らかなウソをつき、何ら恥じ入ることがないのか?それは「ウソとだまし」こそが、中国最大の文…
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「騙したモノ勝ち、騙される方が悪い。嘘をついてはいけないと言う教育を受けていない。」 なるほど・・・ そういえば、有名な軍師、諸葛孔明の知略なども、「いかに相手を欺くか」という奇襲・奇策が中心の兵法という印象ですよね。。。 それが当然、と言う文化で育ってきた人間にとって、「嘘をついてはいけない」ということを強要されるのは、納得がいかないという事なのか・・・ できれば郷に入れば郷に従えで、日本の中では日本の倫理観に従って頂けるとありがたいと思いますが。。。
先日、千葉県の自治体が「お父さん」「お母さん」という呼称を廃止したというニュースがありましたが。 このような話も・・・ ↓↓↓
【頂きますが無くなる】
先日、静岡でこんな話を耳にした。 静岡のある学校ではついに頂きますを言わなくなった学校が現れたそうだ。 何故そうなったのか? それは母親の一言 『なんで給食費を払っているのに頂きますを強制させるのだ』 この言葉に学校側が対応。 遂に頂きますを取りやめたそうだ。 皆さんはこれを聞いてどう思いますか? このままで良い。 それともこの状態をなんとかするべきだ。 どっちでしょう? 皆さんが声を上げないと、この日本は本当にダメになってしまう。 一部の声を上げる人間の意見が世の中を作り、陰徳を積む人間が置き去りにされる。 道徳心をもう一度取り戻しますか? それとも、ルールや規則で縛る社会をつくりますか?(神道の心を伝える)
うーん・・・恵んでもらったわけではない、正当な対価を払ったのだから、礼を言う必要はない、ということでしょうか。 レストランなどでも、客が「ごちそうさま」と言うのに違和感を感じるという外国人は居るようです。 金を払っているのに何故礼を言うのか? しかし、その理屈だと、正当な対価として食事を提供している店側も、「ありがとうございました」を言う必要はないと言う理屈になりますね。 確かに、海外では店員も客も挨拶をしない、と言う文化もあるのだとか。。。
しかし、日本人が「いただきます」「ごちそうさまでした」というのは、別に施しを受けたから礼を言ってるわけではないですよね。 「いただきます」は、食事を出してくれた人に向かってだけ言う言葉ではない。 命を頂くということに、敬意を払っているのだと思います。 人間は、生物でないものから栄養をとることはほぼ不可能 他の生き物を殺して食べないと、人間を含む動物は生きていけない。 「まな板の上のコイ」という諺があるが、動物は食物連鎖の中にいることを知っているから、自分も殺して食べるし、自分が食べられることも魂のレベルで知っているのだという話。 (※しかし、植物は、食物連鎖の中にある自覚はない。動物に比べるとはるかに小さい意識でしかないかもしれないが、それでも、殺されたくない、食べられたくないとまな板の上でさえ実は思っいるのだという話も、霊魂学の中で聞いたことがある。) 他の命を食べて生きる。それこそが、生命の原罪ともいうべき罪なのだ。 それは、ベジタリアンだから逃れられるというものでもない。 命を「尊い」「絶対に殺してはならない」と言うのならば、人間も、動物も、餓死するしかない。 だからこそ、命を頂くことに感謝し、その命を無駄にしないように生きなければならないのだ。 感謝の気持ちを失った人間は、傲慢でしかないと思う。。。
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