日本人はとかく「才能」が大好きですね。
何故なのか分からないが、音楽にせよ絵画にせよスポーツにせよ、「才能がある/ない」の一言で片付けてしまう。
映画やマンガ、ドラマの世界でも、元から才能のある人がその才能を発揮する」あるいは「眠っていた才能が開花していく」というドラマが圧倒的に多い。
才能の無かった凡人が、努力して成長していく話はあまり好まれない。
その「才能」は、努力して身につけられた──努力さえすれば誰でも身につけられる──ものではなく、どちらかという生まれつき備わっていた「天才」というものばかり。
例えば
一見凡庸に見える主人公が、実は天才料理人で、最初は舐められ馬鹿にされ、またライバルに挑発されるも、圧倒的才能を発揮して相手と周囲をあっと言わせる。
とか。
実はその料理人は高名な料理人の息子で、遺伝的に素晴らしいセンスを持っている
みたいな設定(笑)
生まれつき天才的な動体視力を持っている主人公が、その能力を見出され、ボクシングの世界に誘われ、やがて世界チャンピオンに登り詰めていく、とか。
凡庸な少年が、たまたまボールを投げさせてみたら(何故か)豪速球を投げ、その才能を買われて野球部にスカウトされてピッチャーになるとか。
話を盛り上げるために、その主人公を舐めて掛かったり、手強い難題や強敵を用意して、煽ったり挑発したりして。
そして用意された困難・障害を乗り越え、最後は主人公が才能を発揮して勝って終わる。
痛快ですね。
例えば、今季(2016年秋)のドラマのラインナップを眺めてみても
☆ドクターX ⇒ 失敗しない天才外科医が活躍する話
☆相棒 ⇒ 天才的(変態的)な頭脳を持つ警部が活躍する話
☆レディ・ダビンチの診断 ⇒ 天才脳外科医が少し挫折を経験しつつも活躍する話
☆シェフ~三ツ星の給食~ ⇒ 三ツ星レストランの総料理長が少し挫折を経験しつつも活躍する話
☆キャリア ⇒ 変わり者の警察署長が情熱と天才的な洞察力で事件を解決していく話
☆IQ246~華麗なる事件簿~ ⇒ IQ246という天才的頭脳を持つ者が事件を解決していく話
と主人公には天才揃い
努力して何かを手に入れるのは疲れるからなのか・・・?
私は努力もなしに手にいれたモノに、そんなに価値があるとは思えないのですが・・・
まぁ幼児がテレビアニメの魔法に憧れるみたいな心理なのかも知れません。
振り返ってみれば、日本の古くからある国民的マンガ・アニメなどでも、主人公が努力して何かを手に入れるより、お助けロボットが出してくれる魔法の機械を使って起きるドタバタ劇みたいのが多いですね。
もう少し、本人の努力を子どもたちに教える内容があっても良さそうな気がするのですが・・・
まぁ、たかが娯楽、そんなに堅苦しい事を言っても仕方ないでしょうか(笑)
コメント