もちろん一人ではできないトレーニングもありますが、概ね、主要なトレーニングは一人でも行えますね。
しかし、対戦競技は、一人ではできません。
もちろん、一人でできるトレーニングもありますが、それらは補助的なものであって、どうしても、一番肝心な部分は、相手が居ないとできない事が多いわけです。
私も若い頃、武道や格闘技に熱中し、既存の団体や流派では自分がやりたい事ができないと思い詰めて、自分と志を同じくする仲間と練習場所を探した時期がありましたが、その時、それを強く思い知らされました。
格闘技は相手がいないと練習にならない・・・
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自主トレができるスポーツはうらやましいとつくづく思いました。
格闘技は、相手が居て、相手の反応と自分の反応とが交錯する、そういう意味では、まさにコミュニケーション技術なのだなぁと、つくづく思います。(世界にもし自分だけしか居ないのであれば、対人の技術である格闘技など、何の役にも立たないわけですよね・笑)
つまり、格闘技は、相手の反応を無視して自分だけが、と考えている人は、なかなか上達しません。
相手の反応を見て、相手に合わせて、こちらがアクションする。つまり、常に相手が先、自分が後となります。
自分が先に動くケースでも、その前に相手の反応・状況を見て、一番良いタイミングを見計らっての先制攻撃となるわけです。相手を一切見ず、完全に無視して自分だけが勝手に動くのであれば、相手がどこに居ようと---いや居なくてすらも関係なく---誰も居ない空間に向かって動いているだけの、ダンスのようなモノになってしまいますから。ダンスならそれで何かを表現するわけですが、格闘技は相手が居てナンボですから、相手を無視した格闘技など存在し得ないわけです。
合気道などは、基本的に受けの技しか持っていませんので、相手に攻撃を仕掛けてもらわないと技が成立しません。合気道には攻撃の技がありませんから、合気道家同士では、対戦が成立しなくなってしまうので『試合ができない』わけですね。
それでは練習になりませんので、お約束として、練習の時は片方が攻撃役を引き受けるわけですが、本気で相手を攻撃して仕留めるための技術を鍛錬しているわけではない、攻撃の専門家ではないわけです。そのため、どうしても演技しているように見えてしまいますね。
(※合気道でも試合ができるような形式を考案された方があって、それは学校系合気道に受け継がれているようです。)
とある格闘技マンガで、受けに回っている限りは最強の古流柔術系格闘技の達人が、最後にとどめを刺そうとして攻撃に出たことでそこに生まれた隙を突かれ、破れてしまったというシーンがありましたが、なるほどと思いました(笑)
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