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時代を駆け抜けた空手家 黒澤浩樹 RIP

スポーツ・武道
最強空手家を勝たせないよう介入した 極真創始者・大山倍達(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース
あまりの強さに「超人」と言われた空手家、黒澤浩樹が今年3月、54歳という若さで亡く - Yahoo!ニュース(デイリー新潮)


黒澤浩樹氏、亡くなったのですね、知らなかった・・・orz

私の青春時代、ド真ん中に居た憧れの選手でした

ただ、この記事の内容はあまり正しくないように思います。

松井vs黒澤戦はビデオテープが擦り切れるほど見て研究しましたから。

まぁ、大山倍達氏も、色々問題のある人物だったろうと、今は思いますが・・・

でも黒澤も支部は違えと同じ門下の弟子なのですから、そこまで敵対するものでもないでしょうし。総本部の(そして内弟子の)威信として「なにやっとるんだ!」と言う叱咤は当然あったと思いますしね。黒澤選手のファイトスタイルがある意味不器用だったのも事実ですし。

あの試合に関しても、結果が不当だったとまでは言えないと思います。

黒澤選手は確かに強い、素晴らしい選手でしたが、空手家としてはその後もあまり活躍できなかったのは、やはりそのスタイルに限界があったのも事実なのだと思っています。

しかし、大西靖人も早世したし、やはり格闘技(スポーツ)の選手は長生きできないんですかねぇ・・・
 
そういえばマイク・ベルナルドもアンディ・フグも、みんな早世しましたねぇ・・・
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最強空手家を勝たせないよう介入した 極真創始者・大山倍達


 あまりの強さに「超人」と言われた空手家、黒澤浩樹が今年3月、54歳という若さで亡くなった。

 試合中に骨が露出しても闘い続けるそのスタイルは「格闘機械」の異名を取り、極真空手引退後はK-1などプロ格闘技にも参戦したことで知られる。

 極真空手史上に残る名選手だが、全日本選手権大会での優勝はデビュー戦の1回のみ。

 記録より記憶に残る選手と言われたが、黒澤の鮮烈なデビューを目撃し、彼と最も近かった作家・小島一志氏は、発売中の月刊誌「新潮45」6月号「最強空手家はいかに逝ったか」で衝撃の事実を明かした。

 なんと極真空手の創始者・大山倍達が、試合で黒澤を勝たせないよう審判に介入していたというのだ――。

 1984年11月3日。黒澤浩樹は第16回全日本選手権に彗星のごとく現れた。1回戦から並み居る極真の名選手たちを打ち破り「とんでもない奴があらわれた」と話題になった。下段蹴りで巨漢選手を戦闘不能に追い込み、準決勝では闘将・木元正資を一本勝ちで下す。決勝戦の相手は総本部(池袋)の内弟子で大山倍達が次期王者と期待する竹山晴友。黒澤の蹴りを必死で耐えた竹山も倒れずにいることが精一杯。黒澤は圧倒的な判定で勝利し、初出場にして初優勝を飾った。しかし、極真空手の総本部ではなく城西支部の所属であり、全国的に無名だった黒澤の活躍に、大山倍達は眉を顰めた。(下記、「新潮45」6月号より引用)

***
■大山倍達の逆鱗に触れた

「一介の支部所属」の初めて名前を聞く選手が優勝したことに、大山倍達はとてつもない不快感を抱いたという。黒澤が所属していた極真会館城西支部は俗に「極真城西」「チャンピオン製造工場」として門下生たちの団結力の強さ、選手層の圧倒的厚さで知られており、中でも黒澤は抜きん出た存在だったが、まだ大山倍達の耳に届くほどではなかった。

 生前の大山倍達は私にこう語った。

「ベテラン勢も全盛期を過ぎて、後は竹山と松井章圭(現・極真会館館長)が極真の屋台骨を背負ってくれればね、前途洋々だと思っていたよ。彼らは美しい空手、華麗なる空手の実践者だからね。これからの極真は華麗でなければならないよ。なのに昔に戻ったようなパワーだけの黒澤が優勝するんだからね。それも本部じゃない選手だから、嫌だったよ。極真空手はここ、池袋の総本部がその威信を担ってきたのだからね。それなのに、あんな無愛想な坊主に人気が出るなんて思わなかった。黒澤くらいだよ、私と会っても眼を逸らさないのは」

 後年、私は拙著『黒澤浩樹 最後の超人伝説』を大山に進呈するため総本部を訪れた。受け取るときの愛想は良かったが、私が帰った後、大山は本を「こんなもん!」と言いながらゴミ箱に投げ捨てたという。後に智弥子夫人から聞き、今や笑い話になった実話である。


■前代未聞の“介入”

 翌年の第17回全日本選手権、黒澤の前に立ちふさがったのは「大山の息子」と言われた松井章圭だった。決勝で相見えた2人だが、延長戦にもつれると、黒澤の下段蹴りで松井の大腿が持たないと大山は踏み、彼の「意向」によって旗は松井に揚がった。

 もっとも、本来ならばこの決勝戦は「あり得ない試合」だった。4回戦の時点で松井を勝たせたい大山は突然「審判団総入替え」を命じ、暗黙で自分の心を忖度出来る支部長たちを新たに揃え、ルール無視の再延長で松井を勝者にしたのだ。当然、決勝の黒澤戦を見据えた対策以外の何ものでもない。

 自分に忠実な“新世代”を勝たせたい大山にとって、黒澤の存在は邪魔でしかない。その後の大会でも「態度が悪い」と大山の目に映っただけで反則負けを取られそうになるなど、ほとんど言いがかりのような仕打ちを受け、大山の包囲網がひとつひとつ黒澤の空手から手足を奪っていった。黒澤は初出場以降、全日本選手権では優勝できなかった。私はもし大山に嫌われていなかったら3連覇、4連覇していたと確信している。
[デイリー新潮]

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