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伝統と慣習は、とりあえず守っておいたほうが良い理由

生き方・人生・人間関係
日本は「マナー至上主義」と批判している自称脳科学者の方がいるとか。曰く、他の国は「人権」「幸福追求権」のほうがマナーより上位に来る、と。

いや、人権や幸福追求のために、マナーやルールがあるんだと思いますが。

それが社会を維持するために必要なルールだから。

自分さえよければ良いのか、他者も含めて幸せになろうとするかの違い。

マナーより人権やら個人の幸福追求を上位に置くのは、「自分さえよければ良い」という野蛮な価値観でしょう。

社会を維持する事が結局は個々の幸せのためにもなるわけで。

そういう大局観が持てないと、結局、長い目でみれば自分を(そして他者も)不幸に陥らせる事になるのではないかと思います。

なんか最近似た話があったなぁと思ったら、「人に迷惑をかけない」はおかしいとか言う主張があるとか?

https://matome.naver.jp/odai/2150381874182576101

https://togetter.com/li/1214463

コレに関しては色々な意見が噴出したようです。

個人的に思うのは、理解が単純すぎるというか、その先にあるものを無視して切り取られてしまった結果なのじゃないかと。

そういうこと、凄く多い気がしますね、今の日本では。
『健全な精神は健全な肉体に宿る』
『天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず』

どちらも、「というが」と直後にそれを否定する文章が続くのですが、そこまで引用される事はほとんどない(笑)
「迷惑」の定義が間違っているからなのではないですかね。

だから、子供の声がウルサイから幼稚園保育園を作るな公園を作るななんて発想になるのかも?

子供が泣くのは迷惑じゃない(笑)

他人が嫌がること、理不尽に他人の権利を侵害すること、社会のルールに反する事が「迷惑」でしょうに。

自分の快適を他者に強いる、迷惑を訴える人の行為そのものも、迷惑の範疇に入る事を忘れてしまっているというか。

他人に迷惑をかけるなは、本来は、お互いに、思いやり・優しさを持ちましょうという意味なのだと思うのですが。

ちなみに、上述の脳科学者さんが引用していた今話題のダルビッシュ箸さんのツイートがこちら
箸の持ち方は、マナーとかルールの話とは違うと思いますが

正しい箸の持ち方を問題提起して「正しい」って何?って議論にしたいのは、面白いアプローチだとは思うけれど(正しいボールの持ち方って何?みたいな)

それをマナーやルールの話に繋げて難癖つけるのがおかしいわけで。

箸の持ち方については他人に迷惑を掛けてるわけじゃないから、好きにすればいいって話。ただ、もっと自由に箸が使えたほうが、本人が幸せだよ?っていうことかと。

野球について、結果を出している有名野球選手がボールの握り方について語るのは説得力があるけれど、箸が自在に使えてない人が箸の持ち方について語るとおかしくなってしまうのは当然で(笑)

問題提起の仕方を間違ったのではないかとは思います(そもそも最初は軽い冗談程度のつもりでのツイートだったんだろうと思いますが、思いのほか、炎上してしまったと・笑)

上記のツイートへの返信の中に

『"人の決めた事を盲信するな"ってことなんじゃないの?』

という意見がありました。

ここが、日本人と他国の人の価値観の決定的な違いなんじゃないかと、常々思います。

歴史がそれほど長くなくて、「自分の力」「オリジナリティ」で結果を勝ち取ってきた人達と、長い歴史を持って先人の知恵を学び尊重してきた国の人の違い。

日本は確かに、伝統と慣習を守れと言う風潮が強いけれど、それは、非常に長い時間、非常に多くの人がトライアンドエラーを繰り返して来た結果の集積があるからだと思うのです。

一人の人間が、自力で発見できる事なんて多くはないわけです。すべての分野において達人になれるわけでもない。

だからこそ、「とりあえずは基本として」長い伝統に培われた先人の知恵を学んでおけ、と言う話。

専門でない分野においては、とりあえず伝統と慣習に従っておけば無難、大やけどはしないやろ、という知恵なんですね。

もちろん、専門の分野ならば、当然、古いものを疑って、新しいものを開発していく必要はあるでしょう。

よくある東洋の武術の「極意書」は実は白紙だった、的な話(笑)

その白紙の意味は、「自分のオリジナルの技をそこに書き足す事ができて、初めて免許皆伝だよ」と言うことなわけです。

「守破離」という言葉が日本にはありますが、伝統と慣習をすべて学んだ上で、それらを打破し、新しいものを創造する力を得て、やっと一人前だと。

科学だって、過去の成果の集積なわけです。まずはそれを学ばないと先へは進めません。
それを学ばずに、現代の科学技術と同じものをゼロから編み出せ、というのはちょっとムリがある話なわけです。

伝統がないジャンルの技術については、守破離もないわけです、守りそして破るべき基本がないわけですから。

何も学ばずにゼロから結果を出してしまった、そういう人には、ルールを守ることは重要ではない、と感じてしまうのは仕方がないのかも知れませんが。

伝統は、よく理解していなくても、その道を極めていない人でも、とりあえず無難な結果を出せるという、極めて合理的なシステムでもあるわけです。

とりあえず無難な、であって、それが理想ではないのですが。

事はそう単純ではない、ということかな、と思います。

「これより先に家を建てるべからず」

とりあえず、よく分からない事なら、先人の助言には従っておいたほうが不幸にならないよ、と。。。

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