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笑っていたい は 笑えないから価値がある

(霊魂学的)雑記・雑談
とあるタレントがSNSが「ずーっと笑っていたい」と書いていた。

その気持は分かる。

いつでも笑って過ごせるなら、それは幸せなことなのだから。

でも、それは裏を返せば、笑っていられない状況があるという事でもある。

人は、あって当たり前のモノには感謝しなくなる。

空気はあって当たり前、空気が有ることがありがたいと毎日心から感謝している人はあまり居ないだろう。

それが有るのが当たり前になったとき、それは空気になってしまう。

何かがほしい、何かがる事に感謝するというのは、それが不足している状態を身に染みて実感していると言う事。

有ること難しい、だから、アリガタイのである。

「笑っていたい」

そうしみじみと言う人は、笑っていられない現実があるのだろう。



ただ、

「笑っていたい」

と

「笑っていれば幸せになれる」

は違うと思う。



笑っていれば幸せになれる、訳がない。笑っていられないのが現実なのだから。

何も努力せず、行動せず、笑っているだけで「有り難い」事が「当たり前」にはならない。

笑っていれば幸せになれるという主張は、現実逃避だろう。

笑っていると、なにか超常的な神秘的な力が働いて幸せになれる、と言うのであれば、宗教である。

私はその宗教を信じていないので、それが真実だとは思えないのだけれど、私の知らない事はたくさんあるので、真偽の程は不明。



笑っていれば幸せになれると信じていた人達が、後で不幸になって慌てなければいいなぁと思うけれど。。。。



現実をシビアに考えると、笑っていれば幸せになれると信じている人達も、実は笑っていられない現実を生きているのだろうから、結局は一緒かなぁと思ったり。

笑えない現実で必死で努力した人も、結局笑えない結末になる事が多い、それもまた現実。



結末というのは死。

人の死亡率は100%。

なので、問題は、死んだ後、幸せになれるか。

死後の世界がある事を信じるか信じないかでまったく変わるのだけれど。

死後の世界があると思う派の人ならば、死後の世界で幸せになれるかどうかが、結末、結果となるわけで。

それを判断するには、死後の世界を知る必要がある。

死後の世界を語る人々の書物を読み漁って、最終的に「水波霊魂学」に出会った。



私なりの解釈なのだけれど、水波霊魂学では、死後、人は幸せにはなれないと言ってるような気がする。

ただ、不幸になるか、ならないか。

幸せは、幸せとは何かが人によって異なるのでなんとも言えない話なので。

ただ、明確な不幸というのはあって。例えば、お金があっても幸せになれるかどうかは分からないけれど、お金がなくて、食べる物がなくて家族が死んでいく状況は、明確に不幸と言える、みたいな話。

不幸になるか、ならないかが、生きている間の行動で変わるというのであれば、不幸にならない努力をしておきたいと思う。

その努力が何か、正解が何かは、また、人によって信じるモノが違う、言わば宗教の世界なので難しいのだけれど。。。

霊魂学では、幽体が傷ついた状態で死ぬと死後不幸になる、幽体を健康に保ち成長させた人は、幸福かどうかは別として、不幸な世界には行かないで済むという。

死後不幸にならないために、幽体を修復し、鍛え、成長させるのが霊魂学でいう鎮魂法という修行法となる。

一日の間、ほんの数分間の健康法を行うだけで、生きている間も健康で、死後も不幸にならないで済むなら、こんな良い事はないと個人的には思う。

ただそれも、結局は、死後の世界が証明できないので宗教の範疇に入ってしまうのだけれど。

ヨガだとか、風水だとか、パワースポットだとか、笑ってれば幸せになれる気が入ってくるとか、世の中、色々と宗教的なものを信じている人がいるけれど、それと同じ。

信じているにもレベルがあって、本当は効果がないと思っているけれど、験を担ぐ意味でお守りを持ったりパワースポットに行ったりという程度の人から、本気で、これをやれば確実に効果があると信じている人までいるわけですが。

何を信じるか?

はアナタ次第 m9(  ̄  ̄)

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