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iPS細胞の臨床実験始まる

(霊魂学的)雑記・雑談
先日、いよいよiPS細胞の臨床試験が始まるというニュースを見ました。
早ければ来年の6月には網膜の移植が行われるらしいです。
そんなニュースを見ていると、未来の人類はもしかしたら、劣化した肉体のパーツを、新しく作りなおしてつけ変えていくのが当たり前、なんてSFみたいな話が現実になっているかも知れませんね。
外見は誰しも、いつまでも若々しい姿を保つ事ができる・・・
そこで思うことは、やはり、霊的な側面はどうなのか?ということ。

肉体は若く保って長く生きられても、霊的にはボロボロになって劣化し続けるだけなら、ますます人類は救われない存在になっていくのかも知れませんね。

逆に修行者は、より長く修行できることになるので、つまり霊的格差が大きくなっていくのかもしれません。

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しかし「長生きのためのパーツ交換」と聞いてどんなイメージを抱いたかで、人によって印象は随分変るのかも知れませんね。

昔、シュワルツェネッガーの『シックス・デイ』と言うSF映画がありましたが、例えばクローン人間をいっぱい作って眠らせてストックしておいて、ダメになったパーツをクローンから移植する、なんて話だと、確かに禍々しい印象もあります。

しかし現代医療でも、股関節の病気の人が人工関節を入れて楽になったり、白内障になった人が水晶体を人工レンズと入れ替えて再び見えるようになったりしています。

iPS細胞というのは、自分の体細胞からその人工パーツを作ろうという話で、どちらかと言うと、クローン人間というより、これまでは失われたら二度と再生しなかった種類の細胞を再生できるようにする方向の研究なんだと思います。

誰もが老化した皮膚を気軽に張り替える、なんて時代は、来るにしてもはるか遠い未来でしょうが。
目が見えなくなった人が網膜を再生して再び目が見えるようになったり、脊髄損傷で半身不随になった人の神経を再び繋ぐ事ができるようになったり、事故で手足を失った人が再び手足を取り戻したりできるようになる可能性があるわけで、それで人生が大きく変わる人も居るとは思います。

では、それによって人生の意味はどう変わるのか・・・?
結局は、一人一人がどう生きるかという問題なのは変わりませんね。

あくまで霊的な観点から見た場合の話ですが----長く生きるほど霊的にボロボロになっていく人なら、早めに死んだほうがマシだった、と言う事にもなりかねないでしょうし、霊的に価値のある生き方をしている人は、多少無理を押してでも長く生きて、価値の高い霊的活動をより長くできた方が良いとも言えます。

この世は酷いところで、辛い事も多く、死にたくなる事もありますが、本当の意味で霊的修行法の価値を理解していたならば、そしてそれに対する深い感謝の気持ちがあれば、早くに死にたいと思うのは間違いなのだろうと思います。

人は、どんな生き方をしても死んだ後、必ず後悔するものだそうです。もっと頑張れば良かった、もっとできたんじゃないか?と、どこまで行っても思うもののようです。

今、修行をして霊的に高く成長している人が居て、その人が心臓を付け替えれば今しばらく生き永らえ、霊的にさらに貢献できるなら、そうして欲しいと指導霊は思うのではないでしょうか。

さて、問題は

はたして自分は指導霊にそう思ってもらえる生き方をしているか・・・?

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