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「四苦八苦」4つは分かる、残り4つは何?(仏教用語)

(霊魂学的)雑記・雑談霊魂学(古神道)
「四苦八苦」とは、仏教用語なのだそうで。

仏教における苦の分類で、「四苦」は根本的な『生・老・病・死』の苦の指すのだとか。

『生・老・病・死』は説明するまでもないと思いますが
生…生きていること自体肉体的精神的苦痛が伴う。

老…老いていくこと。体力、気力など全てが衰退していき自由が利かなくなる。

病…様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされる。

死…死ぬことへの恐怖、その先の不安。
四苦八苦の「八苦」は、最初の四苦の他に八つの苦があるという意味ではなく、最初の四つの根源的な苦に加えて、人間にはさら四種類の苦がある、と言う意味らしい。

それは、
愛別離苦(あいべつりく) 怨憎会苦(おんぞうえく) 求不得苦(ぐふとくく) 五蘊盛苦(ごうんじょうく)
の四つで、分かりやすく言うと

愛する者との別離
憎む者との関わり
求める物が得られないこと
心身が思うようにならないこと

という事でしょうか。

最初の生病老死とこの四つを合わせて八苦と呼ぶのだとか。

なるほど。。。

3つはとてもよく分かりますね、人間の人生の苦しみとは、愛する人との別れ、憎たらしい者と関わらなければならない人間関係の苦しみ、欲しいものが得られない苦しみがあるということですね。

最後の五蘊盛苦がちょっと分かりにくいですが、自分の心さえも自由にならないという感じでしょうか。。。

※五蘊とは、「色・受・想・行・識」の事
色(しき) =すべての物質
受(しゅ) =物事を見る、外界からの刺激を受ける「心」の機能
想(そう) =見たものについて何事かをイメージする「心」の機能
行(ぎょう)=イメージしたものについて、何らかの意志判断を下す「心」の機能
識(しき) =外的作用(刺激とイメージ)、内的作用(意志判断)を総合して状況判断を下す「心」の機能
有名な般若心経にも一行目に「照見五蘊皆空」という言葉が出てきますね。

五蘊とは、人間の心と体の集合体を表すような意味でしょうか。

いまひとつ、分かりにくいですが。。。

※Wikipediaには、「色」は物質的存在を示し、「受」「想」「行」「識」は精神作用を示す、とありますね。

こちらの解説によると
「私」を分析すると五つの塊に分類できる。

それは

rûpakkhandha (色蘊)
vedanâkkhandha (受蘊)
saññâkkhandha (想蘊)
sankhârakkhandha(行蘊)
viññânakkhandha(識蘊)

の五つである。
塊といっても止まっているモノではなく、常に変化し続ける。

人間は、は変化し続けるこの五つの塊に「私だ」と固執して苦しんでいる。

とあります。原文からの分析なので、少しだけわかりやすいかも?

「五蘊」については検索するとかなりあちこちで様々な解説が見つかります。

理解が難しいFAQのようですね。

ひとつ分かってきたのは、五蘊盛苦におけるキーワードは、サンスクリット語の原文の分析によると「執着」ということのようです。

(漢文に訳されたものではその「執着」(取/upādāna)が欠落してしまっているとか?)

それが人なのか、心と肉体のことなのか、「私」なのか分かりませんが、それらに執着することで苦しみが生まれる、と言うような意味でしょうか。。。

※「取」とは「ある活動を活性化させ維持させる源や手段となる、燃料、物質的原因、気質」という意味だそうですが(Wikipedia)

仏教ではこれを「執着」という意味で使うようです。
4つの「取」

    感覚-喜びへの執着 (kam-upadana, 欲取)
    間違った視点への執着 (ditth-upadana, 見取)
    儀式と象徴への執着 (silabbat-upadana, 戒禁取)
    自己信条への執着 (attavad-upadana, 我語取)

この4つを総称して、四取(ししゅ)と呼ぶ。
人間というものの分析・分類の仕方が、現代とはかなり異なっている印象ですね。。。

※釈迦が本当にそのように言ったかどうかは不明ですが。

(釈迦は教えを記録して残すことを禁じていた。)

現在残っている仏典は、釈迦の死後、弟子たちが覚えていた釈迦の教えを書き残したもの。

つまり、書き残した弟子の理解の範囲での解説であり、誤解・間違いも含まれている可能性が高いということになります。

同じ内容の話を複数の人が聞いた時、覚えていること、解釈は、人によってかなり異なっています。

各種の宗教においても、無数の宗派に分裂している現実がありますが、それは、経典に書かれている事の解釈が人によって異なっており、どうしても相容れない考え方の人が独立・分派していった結果ですね。

同じ宗教でありながら、片や和を大切にし、片や異教徒は許せないので殺す、と言うような、正反対とも言える解釈の違いまで発生しており、テロや戦争まで起きるわけです。

最初の神人ともいうような指導者の教えは高貴であっても、それを受け取る人間の側の理解力が不足しているため、本当に伝えたかった事と異なっている可能性が常にあるわけですね。

仏教も、本当の釈迦が伝えたかったこととは異なっている可能性があるわけです。

ただ、仏教というのは、哲学としては非常に高度であり、先人の知恵として参考にできる部分はありますね。

極めて合理的に人間と物事お理を分析しようとする姿勢が根本に感じられる、その点は霊魂学に通じるところもあり、個人的には嫌いではありません。

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