ブラジリアン柔術(グレイシー柔術)について調べて、また実際に教わってみて、一つ、気が付いたのは、「文化の違い」が非常に大きいということは、思いました。
というのは、日本の武道は、常に「大勢の敵と一人で戦う」という状況が想定されているのです。
だから、日本の武道においては、実は「寝技」はあまり重視されてこなかったのではないかと思います。
寝っ転がって誰かに技を掛けている時に、他にも敵が居て攻撃されたら、ひとたまりもありませんからね。
古流柔術などでも当然関節技や絞め技等の技術もありますが、どちらかというと技を掛ける側は立っている状態での技が多い気がします。
常に、フットワークが命、という感じですね。
それに対して、グレイシー柔術は、常に「一対一」の技術であって、大勢の人間を一度に相手にしなければならない、という状況は想定されていないように感じました。
これは、どうやら、ブラジル人は「一対一」のいわゆる「タイマン勝負」が重視されているのだとか。
本当のところは知りません、ブラジル行ったことすらありませんから。
ただ聞くところによると、喧嘩などでも、グループのリーダー同士が一対一で戦って勝負を決する。大勢で一人をやるなどという事をすると、卑怯者として社会から受け入れられない、みたいな文化風土があるのだとか。
確かに、技術的にもそうでないと成り立たないものが多いように思います。(マウントポジションなんて一対一でなければ成り立ちませんからね)
グレイシー柔術は、極めて合理的な技術の積み重ねになっておりますので、その合理的な精神からすれば、一人で複数の相手と戦ったら「勝てないのが当たり前」という合理的な判断があって、そのための技術は考慮されていないのは当然なのかもしれませんね。
してみると、面白いなと思ったのは、日本の文化においては、大勢で一人を攻撃するのは、卑怯とはあまり言われないという事・・・
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昔からそういう話は多々残っておりますし。宮本武蔵も吉岡一門60人?と戦ったなどと言われていますが、吉岡一門を卑怯として断罪する論調はあまり聞きません。
逆に、大勢に囲まれてボコられた一人に対して、「そんな卑怯な!許されない行為だ!」などという風潮もあまりない。
なんでか不思議ではあるのですが・・・
ただ、まぁ、技術的には、古来から集団で合戦を繰り返してきた歴史的背景のあるのが日本の武道なので、その伝統が大きいという事はあるとは思います。リングで戦う現代格闘技とは話がまったく違う部分はあるわけで。
また、日本は歴史が長く、「武器」を使って戦う時代が長かった、という事もあるのかもしれませんね。
※これまた面白いのは、武器を持たない武技の武道家と武器を持って戦う武技の武道家が戦うとき、武器を持たないほうは武器を持った相手に「卑怯」とはあまり言いませんよね(笑)
もちろんなれない武器など持っても、相手の土俵で戦ってしまったら返ってよくない結果になってしまうでしょうしね。
ただ、もしかしたら、日本人て、昔から集団が大事な文化ということも、理由の一部にはあるのかも?とも思ったり。
大勢に対して一人で孤立してしまった場合は、孤立したほうにも非がある、とでもいうような雰囲気?
相手が大勢で来るなら、一人で対抗せず、こちらも仲間を集めて大勢で戦えばよいじゃん、と?
日本人は、集団の和を重視するが仲間意識は低いという不思議な民族であるという心理分析もあるようですが、
なんとなく、イジメの問題にも通じていそうですし、この問題、追及すると、なかなか複雑で奥が深い話なのかもしれません。
何にせよ、日本でブラジリアン柔術のような技術が発達しなかったのは、そんな文化背景の違いがあったのだろう、というお話でした。。。
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