言い方の問題ではあるが、子供に判断を任せる=子供に責任をとらせるのではなく、行かなくてよいけれど、代わりにどうしたら良いのかをちゃんと教えてあげて、協力してあげないと、子供は不安になるだけだ。おはようございます!昨日のこれに「不登校したって良いじゃないか!」ってリプがたくさん来るのですが、このツイートは不登校するな、ではなく「学校に行かない子は勉強の遅れや将来の不安でいっぱいになっているから、大人はその不安を半分引き受けてあげられる話し方をして欲しい」というものです。 https://t.co/R3vrGLRDiy
— 春名風花🍧 (@harukazechan) 2018年7月29日
「義務教育」と言うが、子供たちに「学校に行く義務がある」わけではない。 これも、日本では、ちゃんと子供たちに教育していないような気がする。 義務教育とは、大人たちに「子供たちを教育する義務がある」のであって、子供たちに「学校に行かなくてはいけない」という義務があるわけではない。 もし、子供が学校に行きたくないと思うような学校だったら、それは学校をそんな状態にした大人が、義務を果たしていないだけ。 子供がどうしても学校に行けない事情があるなら、別の方法でその子に教育を与える義務が大人たちにあるという話だ。 大人が(教師が)子供を学校に通わせる義務、ではない。学校に通わせたからそれで大人は義務を果たしたわけでもない。 状況にもよる、個性も違うので、ケースバイケースで正解はないのだろうけど、 「逃げるが勝ち」という場合もあるので、それは子供たちも知っておいたほうがいい。
学校行きたくない子に悪魔のささやき pic.twitter.com/FcW7dyVEpt
— くろたま●単行本①②発売中 (@krtmgpl) 2018年5月16日
不登校になった小2の娘 1か月後の姿に「なんて素晴らしいお嬢さん!」
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「逃げたら行けない」 「逃げるのは悪いこと」 みたいな価値観が、日本には根付いているような気がする。 いや、日本だけじゃないかもしれない?
いきなり話が飛ぶが、その昔、マイク・タイソンというボクシングのヘビー級チャンピオンが居た。 毎回1~2ラウンドでKO勝利、その豪快な勝ちっぷりを見に、いつも会場は超満員だった。 彼の必殺パンチは左ボデイから連続して左アッパーだったと記憶している。 これ、有効なんですよね。私も空手の現役時代、ボデイlアッパーのダブル、重宝していました(笑) ってそんな事は今回はどうでもいい話でしたね、話を戻して、タイソンの試合は、毎回短いラウンドでKOで終わってしまうのですが、その中で、一人だけ、フルラウンド戦って判定まで持ち込んだ選手が居て、個人的にはとても印象に残っているのです。 たしか、トニー・タッカーという選手でしたが、あのタイソンと互角に戦って判定まで持ち込んだ、と言う感じではなく、その戦い方は、ひたすら「逃げの一手」だったのです。 14ラウンドだったか、追いかけっこが展開されて、その結果、タッカーは判定負けを喫しましたが、KOを免れたわけです。 しかし、このタッカー選手の戦い方、私は間違っていなかったと思っています。 彼は別に、戦う気がなかったわけではなく、勝利を諦めていたわけでもありませんでした。 常に逃げの一手でしたが、たまに、一種の隙をみつけては反撃を試みていたのです。ヘビー級の世界タイトルマッチに出るほどの選手ですから、その、たまに繰り出されるパンチはやはりヘビー級、もしまともにヒットしたらタイソンと言えども一撃でKOされるほど鋭いものでした。 つまり、タッカーは、(まともに打ち合う実力があったかないかはは分かりませんが)まともに打ち合って被弾するリスクを避け、ひたすら防御を固め、隙をまってカウンターを放つ戦術を選択しただけのこと。 絶対負ける訳にはいかない、殺るか殺られるかの武道家としては、絶対正解の戦術だと思います。 先日サッカーワールドカップが開催されていましたが、サッカーだって、強い相手と戦う時は、全員で守りを固め、隙あらばカウンター攻撃をしかける、というのが常套手段ですよね。 ところが、このタッカーの戦い方は、かなり批判を浴びたのですね。 アメリカでの事だったと思うので、アメリカでも「逃げの戦法」は批判されるですね。。。 もちろん、日本のように、良い・悪いというような価値観とは違う、「面白くない」というシンプルな感情だったのかも知れませんが。 お客さんを楽しませっるショーとしては間違っているかも知れません(笑) しかし、そこは真剣勝負の格闘技の世界、真剣に勝利を目指してこそなので。ショーに徹して派手に殴り倒されて見せるヤラセなら、本当のショー、プロレスになってしまう。
不思議なことに、日本では、変に「正々堂々」が正しいという価値観があるように思う。 「逃げたら行けない」 「逃げるのは悪いこと」 「卑怯な真似をせず、正々堂々やったなら、結果はどうでもいい」 みたいな? スポーツは参加することに意義がある、みたいな? それは、教育の場では間違いではないと思うが・・・ どうしても、勝敗や優劣の結果をつけなければならない状況の中で、多くの生徒を抱えたら、全員が勝つことはできないし、勝つために卑怯なことをしてもよいという話になったら倫理的に問題があるので、そのような教育になったのだろう。健全な実力を育成させるために、正々堂々実力で勝負するよう指導するしかないわけだ。 しかし「逃げる」のは卑怯でもなんでもない。 これも教育上仕方がないのかもしれないが・・・困難から簡単に逃げるようになっては、子供の育成という意味では問題があるので。 しかし、卑怯な事をするのと逃げるのとはちょっと違う。 必要に応じて「逃げの戦法」も、人生には必要なのだ。 それも、意外に多くの局面で必要だったりする。 それができなくて、良い人間関係をキチンと構築できず、大人になってから困ったことになる人が多くなったのだと思う。 これをキチンと教えることができない、硬直した教師達に問題があるのだろうと思うが。
「逃げたらいけない」「正々堂々」「正面から当たって砕けろ」 これは、やりすぎると間違いになる。 サッカーだったら、ドリブルしながらゴールを目指していたら、前に非常に上手い選手が立ち塞がってきた。その時、その選手を避け、見方の他の選手にパスを出して回避する、というのが間違いということになってしまう。 そもそも、防御を固める戦術が間違いということになってしまう。 ボクシングなら、相手のパンチを避けるのは卑怯といわれたら、防御を捨てて、相手のパンチを避けずに殴られる、お互いに避けずに殴り合うのが正しいということになってしまう(笑) 何を極端な事を言ってるのかと思われるかもしれないが、実は、そういうすべての局面において、「逃げるのは卑怯」みたいな意識が、心の何処かに働いているのだろうと思う。 しかし「逃げるのは恥ずかしいこと」という意識が強く出過ぎると、判断を誤る。 立派な逃げるのも戦術のうちである。 世の中、そういう意味では、どちらかというと正面から戦わずに逃げるのが正解のほうが圧倒的に多いのだから。。。
学校でのイジメも人間関係の問題だが、この「イジメ」は大人になっても続く。 大人になって社会に出てからもイジメは起きる、起き続ける。。。 それが人間というものなのである。 そして、その人間関係の問題の中で、必ず、イジメの問題も発生する。 「イジメをなくすにはどうすればよいか?」 そんな事は不可能なのです。人間が集まるところにはイジメが発生する。それが人間というものなのである。。。 では、そんなとき、どうすればよいか・・・?
次ページに続く
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