【教育】
— べいたん🦑 あけおめです (@Iari0a) 2018年1月5日
父親「勉強しなさい」
子供「なんで勉強なんかしなきゃいけないんだ!」
父親「…なあ、綺麗なお姉さんは好きか?」
子供「うん」
父親「綺麗なお姉さんに辿り着くまでに勉強、仕事、お金と必要で」
子供「おぉ…」
父親「その最初が勉強なんだ。最後が綺麗なお姉さん。」
子供「…」
これは真実、何故勉強するかの解答はまさにこんなもん。(笑)
しかし冷静に突っ込まれる父さん(笑)
子供「じゃあお父さんは勉強を怠ったんだね!(母を見ながら)」
— ボブ@桃兎と白蜥蜴 (@poketobob) 2018年1月6日
しかし、娘バージョンはちょっと違うような・・・
娘バージョン
— アイスミキティー@EARTH (@luckydays10) 2018年1月7日
母親「勉強しなさい」
娘「なんで勉強しなきゃいけないの?」
母親「…ねえ、甲斐性のあるイケメンは好き?」
娘「うん」
母親「甲斐性のあるイケメンにたどり着くまでには勉強とそれなりの企業に就職する事が必要で」
娘「うんうん」
母親「その最初が勉強なのよ。最後がイケメン」
確かに一流企業や上級官僚(そんな言葉あるのか知らんが)に近づくためには、そこに就職できる学力が必要というのは一理あるかもしれないが・・・それは最初のハードルに過ぎないわけで。 甲斐性のあるイケメンの近くに行ったとして、今度はその男に選ばれるかどうかは別の要素が必要になるわけで。 持って生まれた運(外見・容姿)と、男に好かれるための技術を勉強する必要がある。 男を見抜く目と、男を教育して変えていく技術も必要だろう。 考えてみたら、女性のほうが大変ですね・・・
結局、女性が幸せになるためには、男性を落とすためのテクニックを勉強した方が良い、ということになってしまう。 男尊女卑のようにも聞こえるが、これは意外と古来から永遠に変わらない原則のような気もする。 なぜそうなってしまうかというと・・・ 女性は年代ごとに好きな男の子のタイプが変わっていくというが
小学生:運動神経が良い
中学生:ハンサム
高校生:高身長・リーダーシップ
大学生:頭がよい、高身長・ハンサム・優しい
社会人:高収入・優しい
など しかし、男性の好みは根本的に一貫している・・・
小学生:かわいい
中学生:かわいい
高校生:かわいい・美人
大学生:かわいい・美人
社会人:若くてかわいい
だから(笑) さらに言えば、こんな話も・・・ 「魅力的だと思う異性の年齢」というアンケートをとり男女別に比較した結果、女性は年齢に応じて相手の年齢も上がっていくのに対し、男性は全年齢で一貫して20歳から24歳を選んだのだとか・・・
【閲覧注意】「魅力的だと思う異性の年齢」を男女別に聞いたらとんでもない結果に
魅力的に感じる異性の年齢を男女別に尋ねて統計的に処理したところ、意外な事実が明らかになった。いや、もしかすると……
魅力的に感じる異性の年齢を男女別に尋ねて統計的に処理したところ、意外な事実が明らかになった。いや、もしかすると……
男性側の要求が常にシンプルで変わらないので、 そして、女性が求める幸せというのも、 「素敵な男性と結婚して子供を作って金銭的にも豊かな生活」 というような条件を求めている女性が圧倒的に多いから。 (※そうではない事を求めている人は、求めるモノを求めて自由に生きれば良いですが)
そうなると、結局・・・ 男性は、勉強して良い学校を出て良い身分を手に入れる事、が目標になるわけで。 女性は、男を見る目、男を教育して変えていく技術、そしてコレはと思った男性に選ばれるための飾り方やしぐさ言動などを勉強していくほうが良いということになるわけで。 それを堂々と、はっきりと教えて行けば良い。 もちろん、いくら着飾ってみても、持って生まれた容姿には超えられない壁があるが、そういう女性は早い段階で違う道を模索することを考える必要があるだろうけれど もしかしたら、今はその、その他の道しか教えていない時代なのかもしれない、などと思ったり。。。
結局、「幸せ」なんて幻想なもだとも、思うのだけど・・・(笑) 何を「幸せ」と思うかは、人それぞれ。 人は比較対象がないと幸せも不幸も実感できないものだし。 食べるものすらない人が周囲にいる中で、自分は毎日食べられる環境であれば幸せを感じるが、全員が普通に食べられる環境になれば、また自分は不幸だと感じ始めるわけで。 「足ることを知る」のが幸せの道だというけれど 魂の奥から湧き出てくる渇望する衝動を抑えることはできない。 そう考えると、人間はどこまで行っても幸せになれない存在なのかも知れない。 比較対象もなくずっと幸せを感じる状態を維持するには、覚醒剤か何かを使うしかないような気もする。。。
人は、生まれながらにしてハンディがある。生まれた家が裕福な人間もいれば、貧しい家に生まれる人間もいる。 中には生まれつき身体が弱い人間もいるし、病気をもって生まれてくる者も、時には障害を持って生まれてくる者も居る。 生まれながらにしてスタートは不平等だ。 しかし、生まれながらにして、すべての人間は平等でもある。それは、この世の物理法則の下では等しく平等である。 恵まれた人間も、そうでない人間も、物理法則には逆らえないし、全員いつかは死ぬ。 では死んだ後はどうか? (私はどうも、「死」で一区切りに考えられなくて、その後も続く人生を想像してしまうのですが・・・) 実は、死んだ後も、不平等なスタートが待っていると霊魂学は語っている。 そしてそれは、平等に、法則に乗っ取っているだけ。 死後、人間は幽体で生活を始める。 しかし、死ぬ直前に幽体がボロボロに傷ついていれば、死後、障害を持った辛い状態から生活を始めなくてはならなくなるようなものらしい。 良いことをしたら死後に恵まれた生活が、悪いことをした人間は苦しい生活が待っている、というのは人間の儚い希望でしかない。 本当にそうであったら良いと常々思うが、現実は、自然の法則に乗っ取って生き、死ぬだけ。それは死後も同じらしい。 良いか悪いか、善か悪かなど、人間が勝手に決めた基準に過ぎないのだから。
ある人が、死後、閻魔大王に「お前はたくさんの命を奪ったから地獄行きだ」と言われた。「そんなはずはない、自分は生涯、人のために尽くして生きてきた、実際多くの人を救った。人の命を奪ったことなどない。」と必死で抗弁したが、閻魔大王の裁きは・・・
「お前はたくさんの蚊を殺した。たくさんのゴキブリも殺した。お前が命を救った人間が、殺虫剤を発明し、さらに多くの虫達の命が奪われた。よって重罪である。」
人間だけが尊いという価値観から見れば人間を救うことは正義でも、全ての生命が人間と同じく尊いという価値観を基準にすれば、人間ほど極悪人は居ない、と言う事にだってなるかも知れないのだから。 それでも、閻魔大王がいればまだ良いと思うが。 この世にもあの世にも、現実には閻魔大王はおらず、あるのは自然の法則だけらしい。 少しだけでいい、死ぬ前に、幽体を健康にすることを考えておけば、少し、死後の世界で恵まれたスタートが切れる。 極悪人がその方法を知っていれば、その者は再び恵まれた生活をスタートさせる事になる。善人であってもその方法を知らず幽体を傷つけたままでいれば、苦しいスタートを切る事になる。 それが厳しい現実らしい。
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