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人は他人に押し付けられた事より、自分で見つけた理由に納得する

生き方・人生・人間関係
まだ小学生の頃、空手の教室に通っていた。自分が一番上級生だったため、先生が来るまで下級生に準備体操の指導をしていた。

音楽は流していないが、ラジオ体操もどきの体操、体中の関節を動かし、伸ばすような感じ。

その途中、上半身を回す運動があるが、手しか回していない子が居た。

そこで自分は、その子に、「手を使わないでやってごらん」と言ってみた。

その子は多分、手を回す運動だと思っていたのかも知れない。

そうじゃないんだって事に気がついて欲しかった。
手を動かす運動だと思ってた
  ↓
手を動かさずにやる?!
  ↓
手を動かす運動じゃないんだ
  ↓
(゜∀゜)!ヒラメイタ
コレは上半身ヲ動カス運動か!
となったらいいな、と。

なので、あえてそれ以上何も指導はしなかった。

その子はしばしフリーズしては居たが、自分で気がつくという体験をさせてあげたかったのだ・・・

しかし、フリーズしているその子を見ていた先生が、苛ついたのか「こうやるんだよ、こう!」と教えて、そのまま準備体操の続きを終わらせて空手の練習に突入してしまった。

私としては、少し鈍臭い子だったので、自分で考え、自分で気がつく事を教えたかったのだけど・・・。

自分で気がつくという体験をその子が覚えてくれれば、その子の将来のためにも絶対にプラスになると思っての親心だった。

それは、一方的に教えられるだけの、受け身の姿勢を続けていたらなかなか分からない。

自分で気がついた、という体験をすることで、変わっていくのではないかと。。。

私は、多少全体の練習を止めてでも、その子に少し考える時間を与え、どうしてもダメなら徐々にヒントを出してあげようと思っていた。

しかし、先生から見たら、私が意地悪をしているように見えたのかも知れない。また、全体の練習時間が押してしまうのが気になっていたのかも知れない。私はその子をどうにかしてあげたいと思ったけれど、先生はそれはどうでも良い事だったのかもしれない。

それはどちらが正しいという話でもない、フォーカスの違いに過ぎない。

何にせよ、自分で気がついてほしいという私の目論見は潰えてしまった。

結局その子が気がついたか、分からなかったかもあやふやなまま。

私のフォーカスもそれでその子からは外れてしまった。

どうせ、後で口頭で「自分で気がつくことが大切なんだよ」などと言ったところで染み込んではいかない。

自分で体験してこそだと思うが、そのチャンスはなくなってしまったのだから仕方がない。

まぁ、私自身もまだ小学生の浅知恵だったわけで、そんなに指導力があったわけでもなく。先生が遮らなかったとしても、結局その子は理解できないで終わったかも知れないが。。。

以前パスカルが言っていた「相手に考えを変えさせる方法」を紹介したけれど

350年前の「相手に考えを変えさせる方法」が効果的と現代の心理学者が支持
神が居るかいないか分からなくても、神がいると信じて生きたほうが得な生き方である(パスカル)
「人は他人に押し付けられた事より、自分で見つけた理由に納得する」  これは本当にそのとおりだと思う。 相手の考えを変えさせるのには極めて効果的だという経験を実際に何度も体験している───そんな大した話ではなく、日常的な事でも、ちょっとした事を教えてあげたりすることはよくある話。 見ていて面白いなぁと思ったのは、どうやら人は、その教えられたちょっとしたアイデア等について、教えてくれた人が誰だったかについては、みんな忘れてしまうものらしい(笑) 割とすぐに、自分で見つけたかのように語りだす。まぁパスカルの言うとおり、そう思えるくらい納得したからこそ、そのアイデアを受け入れ取り入れていったのだと思うけれど。 ただ、それほど時間も経っていないのに、教えてあげた人=つまり私にまで、ドヤ顔で教えてくるような人には、苦笑いするしかない。 私が教えてあげたんダロ、と指摘しても、「そうだっけ・・・?」といい、フェードアウトしていく・・・(笑) まぁ、覚えていてくれなかったとしても、どうでもいいのだけど・・・(^^;) しかし、人は知らず知らずの内に恩知らずになっている事もあるかなと、自戒はしておこう。。。

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