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人生には価値があるのか?

生き方・人生・人間関係
人生の扉」という歌があります。

竹内まりやさんの「デニム」というアルバムの最後の曲で

気がつけば五十路を超えた人生、歳を重ねるごとに輝くものもあるはずだ、生きることには価値があると信じている、というような事を歌った歌ですね。

私自身は、未だ50歳を迎えておりませんが、なんだかしみじみとしてしまう歌だなぁと思います。。。

その中に、「あと何回、桜の花や紅葉を見ることができるだろう?」という部分があります。

歌詞の中で90を超えて生きるかもしれない、とありますが、人生90歳までとしたとき、現在50歳ならば、桜の花はあと40回しか見る機会がないわけですね。

男性のほうが寿命が短いので、男性は30回くらいかも知れません。

桜は年に一回しか咲きませんからね。そして、咲いている期間も1~2週間と、意外と短い。その間、仕事でもしていれば、一度しか、お花見に行く機会がなかった、と言う人も多いと思いますので。

40回・・・男性なら30回・・・これを多いと思うか、少ないと思うか・・・

あと、30回しかチャンスはないのか、と、私は、思った以上に少ないなあと思いました。

その30回のうち、お花見に行くことは数回もないかも知れないですしね。。。

若い頃、バイクで山を走り回っていた時、桜吹雪の舞う中を駆け抜けた事がありました。大量の桜の花びらが風に舞い、トンネルのようになっている中を駆け抜けたのを今でも覚えています。

しかし、その後、一度も同じ光景に出会うことはありませんでした。

春、桜の時期に同じ場所にバイクで出かけてみたこともあったのですが、なかなか、ちょうどよいタイミングというわけには行きません。平日働きながら、週末の休日だけしか行けませんから、まぁ難しいですね。

アルバイト生活で、毎日のように走りに行っていた若い頃のようには行きませんね。

バイクも降りてしまえば、もう二度とあの景色は見られないでしょうね。。。

結婚して、家を出てしまえば、実家に戻るのは年に1~2度

一応、父の日・母の日・正月には顔を出すようにしていますので、年に3日か。

自分の人生があと・・・いや、その前に、父母が先に亡くなってしまうでしょうから、あと30日程度かも・・・?平均寿命から考えたら、父はもういつ亡くなってもおかしくはない年齢ですから・・・(まったく死にそうになく、ヨボヨボでもなく、ピンピンしとりますが)もしかしたら、あと数日しか残っていないかも知れませんね。

考えてみれば、まだ若い家族とも、あと何日会えるか分からないですね。いつ、不慮の事故や病気に遭って人生が終わるかも知れませんし。

友人たちもそう、友人ともなれば、ほとんど会う機会がない人も多いわけで。あと数日、人生の中で会う機会があるかどうか、と言う人は多いでしょう。

どうがんばっても、人生は確実に終わる。それも、若うちはどうしても実感がありませんでしたが、やはり、人生の先達の方々の言う通り、歳を重ねるごとに、その過ぎゆく時の疾さを神にメル用になりました。

先が短い、終りがあるからこそ、大切にしようと思うわけですね。

人生に価値はあるか?

それは、どのような基準で測るかによって変わるでしょう。

人生の目的とは何か?なぜ人は生まれてきたのか?その考え方によって、それが達成できたかどうかは変わるわけです。

それを論じるのはまた別の記事に譲りたいと思いますが・・・

自分の人生が終わる時、自分の人生は良い人生であったか、自分の人生には意味があったか?と考えた時、果たしてどう思うのか・・・

少なくとも、百点満点だと思える可能性はゼロでしょうね。

ギリギリ、落第を、温情でかろうじて免れさせてもらった、という程度に滑り込めれば御の字でしょうか。

しかし、自分の人生が短いと考えて、それを振り返るとき、価値があったか、達成できたかということとは別に、まぁ、その日々は、それなりに愛おしいと思うような気はします。

別にナルシストではない、むしろ正反対ですが、それでも、だらしないなりに、しょうもないなりに、一生懸命がんばったし、二度と味わえない、過ぎ去った時は二度と帰らないと思えば、それもまた愛おしく思うというか。

ま、もう少し、あと少し。

がんばらにゃぁなぁ、と、決意を新たに、明日もまた頑張っていきましょう( ̄ー ̄)b

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