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礼儀は大切、正しいことを言っても相手を侮辱すると殺される・・・

生き方・人生・人間関係

これ、すごく大切な事だと思います。。。

いくら正しくても、失礼だと敵視され、殺されてしまう
どの会社にも、どんなコミュニティにも一定数、「失礼な人たち」がいる。   「失礼」は抽象的な表現であり、相対的なものなので、当然、ある人が失礼と感じることが、他の人にはそうではないことがたくさんある。だが…
blog.tinect.jp

以下要約ですが(全文に興味ある人はリンク先を参照)

誰かが間違ったことをした時に「間違っている」と批判することは失礼な行為となる。

とある会社のワンマン社長が「品質が悪いのは、仕事への思い入れが足りないからだ!」などと言っていた。その社長に若い社員が「精神論よりもマネジメントを勉強してください。」と反論してしまった。

社長は「そういう責任のすり替えが、良くないと私は言ってるんだ!!!!」と激昂した。

その後、社長はマネジメントのやり方を改め、品質は向上したが、社長に楯突いた社員の事は嫌うようになり、結局その社員は会社を去る事となったという。
正しいことを言っていても、相手に失礼だと思われると、大きな代償を払うことになるときがある。

残念ながら「正しいこと」をそのまま伝えるのは「失礼」になることも多い。

「正しさ」を、間違っている人にぶつけても理解されず、敵視されるようになる。。

「話せばわかる」という言葉は美しいが、残念ながら、人間同士は話してもわからない。

なぜなら、人間は「失礼な人の言うことは、正しくても聞きたくない」と思うからだ。

では、「間違っている人たち」とどのようにコミュニケーションを取ればよいのか?

ある、「上司に物申す」のが非常に上手な人が徹底していたのが「相手のプライドを傷つけないこと」であった。

意見を言う時、相手が間違っていても、必ず「◯◯さんの言うことは正しいと思います。」とつける。

「ついでに、私の言っていることも、判断してもらえないですか?」と、相手に主導権を握らせる。

そして何より、彼は、どんな相手にでも、たとえ嫌いな上司であっても、敬意を欠かさない。

どんな相手でも、その人のいうことに一理を感じ取ろうとする、その仕草が、コミュニケーションを、成立させていた。

「正しさ」は、差し出し方と伴って、始めて意味を持つ。

「私の言っていることは正しいから、相手を無礼に扱っても大丈夫だろう」などと思ってはならない。

そのことを忘れた時、「正しさ」は単なる「傲慢」に堕ちる。
『人間は失礼な人の言うことは、正しくても聞きたくない、と思うからだ。』

うーん・・・確かに、それはそのとおり何だと思うのですけど。。。

『言い方は大事。敬意がなければ相手にされない。』

それは正にそのとおりだと思います、それは「基本」ですよね。

しかし、悲しいかな、現代社会は、言い方を帰れば上手く行くほど簡単ではなくなったような気もします。。。。

『失礼な人の言うことは、正しくても聞きたくない。』しかし、『弱々しく出てくるもの、下の者の話は聞く耳持たない。』

『そもそも他人の言うことに聞く耳は持たない』

と言う人間が増えている気が(笑)

例に挙げられていたワンマン社長もそうでしょう、たしかに部下の言い方は失礼だったかも知れないけれど、気を使って上手な言い方をしたとしても、その社長は果たして聞く耳を持つ人間だったろうか?

味方・身内であり、会社のための助言をしてくれた"部下"を敵視し追い出してしまうような人間性を考えると、言い方の問題で解決するような、そんな簡単な話ではないような気がします。

自分に対する善意の助言・苦言を「敵視」してしまうような人間性の人は上に立つ器量がないと思いますので、出ていった社員はむしろ正解だったかもしれません(笑)

人は、根本的には、自分が正しく、人の話は聞きたくないものだ、と思って接するしかないような気がしている。

性善説は捨てないといけない部分がある、悲しい時代になった。。。

そのような相手を説得し、考えを変えさせるのは、本当に大変な事だと思う。

そして、運良く考えを変えさせる事ができたとしたら、それはラッキーなレアケースなのではないかと思います。

人の考えを変えさせるというのは、タイミングを気長に待ちつつ、もちろんプライドを傷つけないよう細心の注意を払いながら、長い長い時間をかけて取り組んでいくしか無いのだろうと思いますね。。。

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