居合道昇段で金銭授受 八段審査で数百万円、接待も 内閣府が調査
全日本剣道連盟(張富士夫会長、全剣連)の「居合道(いあいどう)」部門で、最上位の八段への昇段審査などの際、審査員に現金を渡して合格させてもらう不正が横行していた……www.sankei.com
結局、どこの世界も金次第(笑) どんな格闘家より、金持ちのほうが強い、最強(笑) 格闘家・武道家は、たとえ達人の境地に到達したとしても、なかなか金は稼げない。 どんなに格闘技が強くても、現代社会では金がなければご飯も食べられない。 むしろ、現代社会において、喧嘩が強くでもなんの役にも立たないケースのほうが圧倒的に多いといえる。 道場を開くにも、金が必要。体育館などの会場を借りるにしても金がかかるし、格闘技の指導者ではそもそも、なかなか、食っていけるほど儲からない。他に仕事を持ちながら、趣味的に指導を続けている人が大半で、格闘技の指導の専門職の人間はなかなか多くは無いと思う。 格闘技の競技の選手として生きていくのもとても難しい。大抵の場合、達人になっても、金持ちのスポンサーがついてお金を出してくれてやっとなんとかなっていく程度。 そもそも体を傷つけ合うという格闘技の競技は、体にも負担が大きいし、長く続けられるものでもない。やがて引退の時は来る、それは思ったより早く来る。 その後は、何かしら、違う仕事を探すか、道場経営でもするしかないが、道場経営にしてもそもそも格闘技や武道の修行に明け暮れた人間に、商才などあるわけもなく。 商売の世界、経営の世界で勝ち残る人は、最初からそのような勉強・努力をしてきた人間達なわけで。世間知らずの格闘家がそんな世界で闘って勝てるわけもなく。なかなか格闘技の才能と商才を併せ持つという人は見たことがない。 一流を志し、己が理想を追い求め、自分の流派を立ち上げたような人でも、結局本人は道場経営、組織運営のための営業活動に終われ、自分のための練習すらままならなくなるし、後進の指導もする時間もなくなるという人が多い。 あっという間に時は経ち、気がつけば体は老い、あちこちがガタが来ていて、人生の終わり方を考えるような時期が来る。 結局、何をするにも金がいる。弱肉強食の野生の世界ではない、現代の人間の社会においては、自由に生きるためには金が必要なのだ。 何かを志した時、人は、結局金集めに奔走することになる。 自由にやりたい事をやるために、金を稼がねばならない。金を稼ぐために自由がなくなる。
結局、金が一番強い。 若い頃はそうは思えなかったけれど(笑) 歳をとってからは素直にそう思うようになった よく、幸せは金では買えないと言うけれど(そういう私もそう信じていたけれど)、金があれば人生の問題の半分以上は解決するものだったりもする。 金があっても簡単には手に入らないもの----たとえば、武道や格闘技の達人には、必死で練習しなければなれない。金を積んでもなれはしない。 しかし、その、練習するための時間すらなければ、結局何も手に入らない事になってしまう。 よく、アジアやアフリカの貧しい国で、まだ幼いのに食べるために、働かなければならない、そのため学校に行くこともできない、という子供達が居るという話がある。 たとえ若かろうと、毎日の食事のため、家族の明日のパンを買うために必死で働かなければならない立場の人間であれば、格闘技をやりたいなどと言う余裕もないわけなのだから。 今、日本で、親に食べさせてもらい、時間の大半を好きなことに、スポーツの練習に明け暮れる事ができる立場の若者だって、その自由の時間は親が必死で働き金を稼いで買ってくれているものでしかないのだから。
確かに、金では絶対に買えないものもある。 例えば、お金持ちの人も、そうでない人も、死は平等にやってくるが、死んだあとには金は持っていけない。 死んだあとの世界に持っていけるモノは何か? 霊魂学であれば、それは霊的なトレーニングによって鍛え成長させた霊的な身体だけであるということになるが。 霊的な身体をボロボロに傷つけた状態で死ねば、次の世界でハンデ(それも取り返しのつかないハンデ)を負って生活を始める事になる。 そのために霊的な身体を修復し、鍛え、成長させておくトレーニングが大切であると霊魂学は語る。 が、それさえも、明日のパンを買うために、今日死に物狂いで働かなければならない者にとっては、虚しい話となってしまう。霊的トレーニングを学び実習するだけの生活の安定がまずは必要ということになってしまう。 霊的トレーニングの指導者だって、金がなければ食っていけない。食って行けなければ、霊的なトレーニング法だって途絶えてしまう。 そういう意味でも、やはり、金は一番大切、金は人間社会にとっては最強のものかもしれない。。。
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