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人は、みんな違う。絶対に完全一致はない。違う意見の人と協力するには?

生き方・人生・人間関係
どうせ、人には(得に感情的になっている人には)なかなか届かないだろうから、こそっとつぶやくだけしかできませんが。。。

問題は、実は、立場・考え方の違いに過ぎない。

どちらの意見も一理はあるし、どちらも間違っている。

しかし、人は、自分が絶対正しいと思ってしまった時、一切の譲歩ができず、攻撃的になってしまう。

そして、苛立ち、疲れ、終いには、自分の考えが理解できない者はバカだアホだと、相手を攻撃し始める。

しかし、意見の違う人を、説得するのではなく、感情的に批判・攻撃するのでは、かえって火に油を注ぐ結果にしかならない。

自分が絶対に間違っていない、と思っているのは、危険な事である。

どう考えても、絶対に自分は間違っていないのだから、仲間内でも自分の意見を全員が正しいと認め、考えを改めるまで、絶対に引き下がらないで食い下がり続ける人がいるが、それでは実は喧嘩にしかならない。

そして、絶対正しいと思っている事は、まったく違う立場から客観的に見れば、そうでもない事が多いものだ。

仲間同士で批判しあい、潰しあう状態こそが、「敵」の思う壺、相手側はほくそ笑んでいるだろう。

人間十人十色、100人いたら100通りの意見があって、細部に至るまで完全な一致はありえない。

完全に一致していなければ協調できないというのであれば、誰とも一緒に活動はできないということになる。

それではどれだけ集まろうと、ただの烏合の衆だ。

一部の意見が違ったとしても、一致できる部分で協力していかなければ、協力な組織化を行ってきている相手には、太刀打ちできないだろう。

意見の違う部分を批判して、協調できるはずの部分まで感情的に攻撃してしまったら、その態度こそが敵を作っていく作業に他ならない。

意見の違いは無視して、言うべきことは言い、しかし議論はしない。

あとは、自分ができることをするだけ。

人を変えられない、変えられるのは自分だけ。

というのは、まったく、名言だ。

「いや、人は、一生懸命働きかければ変えられる、諦めてはいけない」

と言う意見を抱く人もいるかも知れないが、大抵の場合、そうやって力むほど、カラ回って失敗に終わる事が多い。

それでも、うまくいくケースがあるのは、相手が呆れて根負けするほど、徹底的に意思を貫いた時、か。

「走れメロス」ではないが、自分の命を捨てて見せるほどの覚悟を、行動で示さなければ、相手は考えを変えないということだろう。

大抵の場合、そこまでするほどではない、という人が多いわけで。そうすると、無駄に空回ってしまっただけということになる。

むしろ、もっと別のアプローチを考えたほうが、人の考えを変えさせるのには良い場合が多い。
350年前の「相手に考えを変えさせる方法」が効果的と現代の心理学者が支持
17世紀のフランスの哲学者/数学者/物理学者のブレーズ・パスカルが提案した「パスカルの賭け」は、「神の存在を証明できなくても、神の存在に賭けることは合理的な選択である…
gigazine.net

よく、野党議員が、SNSなどで自分に批判をぶつけてきた人を片端からブロックしているが、あれは、ある意味正しいやり方なのかも知れないと思う。

これについて、政治家なのに、有権者の意見を聞かないでブロックする態度は間違っている、と言う批判があるが、そもそも、議論などする気はないのだろう。自分の意見に賛同してくれる人を広く集めようとしているだけ。自分の意見を聞いてくれる人にだけ、訴えていくと言う方針で、聞く気がない人と議論するのは時間の無駄、と言うことなのだろう。

批判してくる人は、そもそも敵対している立場から、潰したいという意図が根底にあるだけの人が圧倒的に多いのだから。いちいち相手にして議論するより、自分の意見を聞いてくれそうな他の人を探しに行く、というわけだ。

これは、少数派の意見を主張している者としては、正しいやり方なんじゃないかと最近思うようになった。

しょせん、人は人の意見など聞かないのだから(笑)

一致できる部分、協調できる部分を探し、そこにフォーカスし、協力していく。

遭わない部分は無視!これが人が他の人とうまく協力していくコツだと思うのです。

人は、みんな違う。絶対に一致は、ないのだから。。。
(これこそが多様性を許容すると言うことですね。

多様性を認めないのは許さない!と怒っている態度は、実は多様性を認めない態度だという矛盾があるのですね。。。)

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