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話し合えば人は分かりあえる という幻想

生き方・人生・人間関係時事・話題
最近、仕事でもプライベートでも、人との考え方、意見の食い違いの問題で悩まされる事が多くあり。

人間は、話し合いで何かを解決するのは不可能なんじゃないかと、つくづく思うようになっていたところなのですが。

この件は、本当に、象徴的な出来事だなぁと思いますね(^m^;)
KAZUYA氏「ZOZOの前澤社長と丸山穂高議員のやりとり一つ見ても、「話し合いで世界平和」みたいな話が非現実的かわかる
KAZUYAさんのツイート ZOZOの前澤社長と丸山穂高議員のやりとり一つ見ても、「話し合いで世界平和」みたいな話が非現実的かわかる。 お互い価値観が違うから、そもそも折り合いなんてつかないし、世界に…
snjpn.net
経緯をわかりやすく書くと
ZOZOタウンの社長・前沢氏が、ジャーナリストが紛争地域で拘束され身代金を要求される問題について

「解決には話し合いが大切」

とツイート

それに対し、日本維新の会の丸山ほだか議員が

「人間の本質を分かっていない、お花畑の発想」

とリツイート

話し合いが大切な前澤氏は、当然、丸山議員に

「ではどうすればよいとお考えか?」

と返信。

意見交換をして建設的な結末に、

はならず、

「真っ当なご見解だが、夢もビジョンもないため支持・応援できない」

と、前澤氏は対話を一方的に終了してしまった。。。
「話し合いが大切」と言っていた人が、平行線になったら話し合いを放棄してしまったと。

「話し合いが大切」と言っていた人が、自らの言動によって、「話し合いでは解決できない」事を身をもって証明してしまうという、皮肉な結果になったわけですね。。。

何故そうなるのか?

それは、正解がひとつではない(または正解などない)からですよね。

数学ならば必ず正解は一つだけとなるでしょうが・・・、人間の社会の問題は、答えがひとつではない。

(学生は、学校で、必ず正解のある問題を解く訓練しかしてこないため、社会に出た時に、正解のない問題の処理ばかりを要求され、参ってしまうという事がよくあるそうですが。)

人間同士の問題の場合、「どちらが正しいとは言えない」という事がほとんどだったりします。

上記の問題で言えば、前澤氏は、「人間は思想の違いで殺し合うような野蛮な生物ではない」と信じているそうです。

しかし、ならば、話し合いを早々に放棄しないで、説得と相互理解のための努力を続ける姿勢を堅持してほしかったですね。
しかし、現実問題として、思想の違い(だけが理由ではないですが)で武力衝突やテロが起きているわけで、それを丸山議員は指摘しているわけですが。

価値観の違い、判断基準の違い。

テロリストは、自分がやっていることを正義だと信じて実行しているわけです。

信ずる宗教が違う、文化が違う、利害関係・立場が違う。価値観がまったく違うのだから、そもそも、「正しい事」の定義が違うわけです。

そして、人間は、どうしても、「自分の価値観が絶対に正しい」と思い込みたがるもののようです。

どうも見ていると、そういう人のほうが圧倒的に多いように思えます。

「異なる考え方・価値観もある。」「正し事はひとつではない。」「自分だけが正しいわけではない。」

と思える人の、なんと少ない事か・・・

「自分はそうではない」と言う人も、実際の言動ではそうではないということが多いようです(前述の前澤氏のように・・・笑)

今回の前澤・丸山論争についても、前澤擁護派も、丸山擁護派も、双方、自分が正しいという前提の意見が圧倒的に多いわけです。それぞれの意見に一理ある、とういような中立的な意見は意外と少ない(笑)

仕事等でも、困った人が何人か居ます。

ある時、意見がA・Bに割れてしまった事がありました。

仕方なく、多数決を採り、結果A案に決まりました。

ところが、B派だったHさん。「決定に自分は従わない」宣言をしてしまいました。

「たとえ意見が違ったとしても、多数決で決まったことには協力してくれませんか?」

と尋ねて見たのですが、「そうすべきなのだろうとは思うが、自分にはどうしてもできない」とおっしゃいました。

まぁ、そこまで言われたら仕方ありません。その方は邪魔をしないでさえくれれば、関わらないで良いと言う事になりましたが。

個人的に、本当に辟易してしまうのは、感情的になる人が多い事。

A派の人に、「Bというやり方もあるよ?」という意見を伝えただけで、キレられて、冷静なコミュニケーションができなくなる。

「別にA案で行くとあなたが決めたならAでいいんだよ、B案はあくまで参考意見だから。好きに決めていいよ。A案に決めるならそれでいい、決まったら協力するよ。」

と言っているのに。感情的に言い訳を続けるというような人がいます。。。

そして、論理的に反論してくれればよいのに、いちいち、こちらの気に障るような嫌味を返してくる。

例えば、先日あった事。

プロジェクトチーム全員で対応する必要がある緊急な案件があり、それをプロジェクトのサブリーダーのMさんがプロジェクトリーダーに伝えたところ

「ああそう、じゃあアナタがやればいいじゃないですか。サブリーダーのアナタがやってないのに、なぜそんなこと言えるのでしょうか?」

という返答が返ってきたそうな(・・;)

(※私にはとても思いつかない予想外の返答だと思いました、自分で創作したようとしても、こういうのは、正直、出てこないですね・・・笑)

いやもちろん、Mさんは「自分も今から対応に入るから、他の皆にも連絡してくれ、という意味で言ったのだよ?」と答えましたが。

結局リーダーから他のメンバーに指示が出て、皆で対応した結果、事態は解決することができたのですが・・・

ならば、いちいち嫌味な返答を返す必要はなかった気がするのですが・・・。。。

どうも、なぜなのかわかりませんが、リーダーとMさんは以前から折り合いが悪く、二人の間には相当な感情のモツレが発生してしまっているようで。

リーダーは、Mさんの言うことにはすべて感情的な反応をしてしまって、抑えが効かないようです。

私は、直接そのやりとりの当事者ではないのですが、そういうのは、傍で見ているだけでも疲れるものですね・・・orz

異なる意見に対して感情的な反応をする人というのは、どうも、自分の案(A)が絶対正しいと思っている、それは良いのですが、

"A案に賛同しない"
"B案を主張してくる"

という人が居たとき、「自分が否定された」と感じるようなのですね。

ちょっと前に、「嫌悪を表明する権利があるかどうか?」という記事を書きましたが、その中に出てくる「自分の好きなものを嫌いと言う人は自分を否定している」と同じですね。

また、感情的になる人を客観的に見ていると、どうも、別案に反対する裏の理由があるという場合が多いような気がします。

その理由が、例えば「面倒くさい」「自分がやりたくない」など、あまり表立って堂々と言えない理由であるとき、正論で反論できないため、思わず感情的になってしまう。

(あるいは「A案にする事で裏で利益を得ている」なんてケースさえあるかも知れない。)

何にせよ、この話をこの人にすると、絶対感情的になるということが最初から分かっている事については、なるべく、余計なことは言いたくないですね(笑)

どうしても必要な事でないなら、言っても不愉快な思いをするだけですからね。

どうせ聞く耳持ちゃしないんだし。意味がない。。。

冷静に、客観的に意見交換が出来る人、本当に少ないなぁと、実感する日々です。。。

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