宗教者の間で否定論が出るのは分かります。
真剣さの度合いが強い人ほど、妥協ができなくなるものですから。
真面目な人ほど、些細な事に過敏に反応して、原理主義的な過激な反応をしてしまう傾向があります。
しかし、あまり気難しい印象を与えては、敬遠されてしまうでしょう。
宗教家も"布教"という観点から考えるならば、あまり神経質にならず、大らかにいたほうが、仏教も神道もキリスト教も混在して生活にとりこんでいるという、日本の文化風土には受け入れられやすいと思うのですが。
否定から入ると、なかなか人は話を聞いてはくれません。
キリスト教徒の方々の中にも、否定派・肯定派があるようですが、双方とも「この作品をきっかけとして、正しいキリスト教を広める事に繋がるよう努力すべき」と言う結論に達するようです。
否定派でも肯定派でもどちらでもいいのですが、外から見ると、否定派の人は、どんなに柔らかい言葉を使ってみても、やっぱりどうしても気難しい印象が残りますので、あまり話したいとは思わないな、と思ってしまいました。
なんにせよ、この作品が、絶大な人気があることは、もはや否定出来ない、無視できない現実として、受け入れるしかないと言う事ですね。
最近はとうとう映画化もされましたが、こちらは・・・
かなり「大人の事情」に配慮した曖昧な仕上げになってしまったようで、原作のファンの間では酷評されているようです。
あまりに真面目な方々が、原理主義的に突き進むと、言論の自由や思想の自由がなくなります。
焚書のようにならないでくれると良いのですが。
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