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合気道開祖・植芝盛平と古神道

スポーツ・武道
合気道の思い出───若い頃、合気道開祖・植芝守平の弟子だった人物に師事していたことがあった。

その人は、触れずに投げるということができる人だった。(そういう人を探して訪ねた。)

合気道の演武なんて演技だと思っていた。ましてや触れずに人が飛ぶなんて・・・インチキも多いだろうと疑っていた。

空手の道に行き詰って新たな道を探していた私は真剣だった。空気を読んで演技をする気などさらさらない。

さて、実際に訪ねて、師の技を体験する機会を得ることができたが、その結果…




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演技などする必要はない、不思議な体験をすることとなった。。。 と言っても、私は摩訶不思議な力によって、触れずに投げられるというような経験は、長くやっていて最後の方に1~2度あっただけなのだが。 しかし、それでも触れずに投げられた(倒された)のは数知れず。 触れずに投げると言っても、なにか怪しげな見えない力で飛ばされるというようなものではなく、誘導されて抵抗できずに倒されてしまうというという感じ。 また触れ合ってしまっても同じ。一切抵抗できず、誘導されて倒されてしまう、つまり、触れているか触れていないかは大した違いはないという感じだった。

例えば、師が小指を差し出す。

私はそれをしっかりと掴む。

そのままあれよあれよと引き回されて、抵抗する間もなく倒される。

何が起きているのか・・・・?

分かりやすく解説するならば、自分が掴んだ指を引こうとすると、そう思った瞬間、それより一瞬早く、師に同じ方向に動かされてしまうのだ。私は一切力を入れることができず、慌てて力の方向を変えようとすれば、また一瞬先にその方向に動かされてしまう、その連続で、力を入れる事もできずに誘導され気がついたら床に寝ている。

それどころか、掴みに行く手が、指を掴む前に、目標の指が逃げ始める(笑)
その指を追ううちに誘導されて気がついたら倒れていると言った有様であった。

「ソレ!どうしたらできるようになるんですか?!?!」と尋ねたら。

「相手が動くより先に相手が動こうとしている方向が分かればできる」と言われた。

そりゃそうでしょうね・・・(´・ω・`)

それはどうしたら分かるようになるのか?と尋ねたら、30年かかる、若いうちはエネルギーが有り余っていて、微細な違いが分からないんだよ、と言われた。

「歳だけは追いつけないだろう?」と言われて、ちょっと悔しかったのを憶えている(笑)

そして、弟子の中には、霊感体質とでもいうのだろうか、非常に敏感なタイプの人が居て、そのような人は、師が手を振るだけで怪しげな力(笑)──「気」の力に反応して飛ばされていくような人も居た。

私は鈍感な体質だったのでほとんどかからなかったが、弟子でいる間、二度ほど、そのような体験をしたことはあった。



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逆らう事もできなくはないのだが、気の流れ?に乗っていくと、とても気持ちよかったのを覚えている。あえて逆らう必要もなく、気持ちよく流れに乗るようになれば、それは演技と言えなくもないかもしれない、あえて抵抗しないのであるから。 私は悔しかったので、あえて無理に逆らってみたところ、気の流れに逆らって師に接近することはできた。が、触れあった瞬間、投げられてしまうので意味がなかった・・・

過日、とあるTV番組にて、合気道ゆかりの地として、茨城の合気神社が映されているのを見かけた。

そう、神社、。

なぜ神社なのか?

合気道をやっている人で、それをちゃんと考えている人が、今、どれくらい居るのだろうか?それは分からないが。

植芝盛平は古神道と切れない存在であり、合気道は古神道があって誕生したと私は考えている。

植芝盛平は熱心な宗教家であり、古神道由来の修行法を行った事により、単なる達人を超える伝説的な強さに開眼したのであるが、合気道について語られるとき、宗教的修行法について触れられる事はほとんどない。世間一般だけではなく、合気道をやっている方々や研究者からも、そのような話をあまり聞いたことがない気がする。

自分の周囲の少ない経験だけで事を判断してはいけないが、現代の合気道は、武道としてその技術的・物質的な側面だけを受け継ごうとして、宗教的(オカルト的?)な部分を切り捨ててしまっているように見える。

植芝盛平は、対決した武道家・格闘家が誰も歯が立たず、指一本触れる事もできなかったという。しかも、鉄砲の弾丸さえも避けたという話さえ残っている。

古い時代の伝説話は、尾ひれがついて誇大化されて伝わっていく事が予想されるが、植芝は割と近代の人物なので(昭和44年没)、映像が残っているので、まるきりインチキという事でもないと思われる。

また、自分自身も触れずに投げられる経験をし、実体験としてそのような不思議な事があると知った。知ったというか、さんざん畳に転がされ続けて、身をもって叩き込まれたというべきか(笑)

植芝盛平は、いかな不意打ちを仕掛けようともアッサリ交わしてしまったそうである。曰く、相手が攻撃してくる一瞬前にアストラルショット(幽的打撃)が来るのが見える、そのアストラルショットを避けると、その後を攻撃が通過していく。弾丸も、同じようにして弾道が分かるので、避ける事ができると語っていたそうである。

それができるようになったのは、あまり語られないが、実は、植芝盛平が大本教の出口王仁三郎の弟子となり、大本教に伝わっていた古神道の技術である「鎮魂帰進法」を修行してからなのだそうである。(私はそれを知って古神道に興味を抱くようになった。)

宗教は、植芝盛平にとって単なる精神的な拠り所としてあったかのように解釈し、武道とは切り離して考え、踏み込まなかった弟子が多いのかも知れないが。

実はそうではない。
古神道の技術は、自身の霊的身体を鍛え、成長させる技術であったという。

人は、肉体のほかに幽体というものを持っているという。ならば、肉体を鍛錬するのと同時に、その幽体をも鍛錬する必要があるというわけである。

気功法やヨガ、針灸などを信じるのならば、日本に古来から伝わる霊的修行法に目を向けても良いのではなかろうか。

※なぜ、植芝は弟子たちにその鎮魂帰進法を残さなかったのか?詳しくは知らないが、おそらく、大本教の信者の中でも特別な人間だけにしか伝授されない技法であったのではないかと推測している。植芝は出口にとっても特別な存在であったのかも知れないが、弟子たちにはその技法を伝える事を許可されていなかったのかも知れない。

また、その霊的な技術として見た場合、正当な古神道・霊魂学からすると、大本教の中でその技術は変質し、間違ったものとなっていた部分があったらしいという事を後に知った。内容的にやや危険が伴う技法であったため、広く人に伝えてはならないという、苦しい事情もあったのかもしれない。

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