在京時、約五年間、全ての会話を熊本弁で通しました。もちろん、訛りが酷い事を指摘され、笑われもしました。自分はそんな奴らを見て、腹を立てたり喧嘩したり、殴った事も多くありました。 何度かの脚本を全て仲間で書き上げた時に、自分が担当者に持って行った時に、 「あの・・・台本ば持って来ましたばってん、何処に出すとよかですか?」 と言うと、そこに居た奴らが一斉に笑いました。 「その発音は九州だね。ハハハ、テレビでしか聞かない訛りだな。それってどういう意味だい?」 それに腹を立てた自分は、 「なんてや?いらんこつば言うな!訛って悪いか?田舎で悪かったな!」 などと、これまた通じない喧嘩言葉を浴びせました。それを聞いてまた笑います。厄介な奴らです。それから、此処では書けない激しい喧嘩言葉を言うと、さすがに怒っている事が分かったのでしょう、奴らはビビッてました。 「君・・・君は〇〇先生の脚本の勉強をしているんだろ?先生の名前に傷を付けていいのか?」 とか言ったので、ここは我慢のしどころです。脚本内容は全て自分達で書いたのですが、なにせ無名ですから、先生の名前で出す事になってますので、権力者に抗うと生きて行けない世界です。 そもそも「東京に住む人間は田舎者の集まりであり、それぞれの方言を隠す為に共通語が出来た。その始まりは江戸時代の花魁言葉が起源である」と思っていますので、東京に住む人間が遣う言葉は、いわゆる「東京弁」という方言であると思います。つまり「江戸弁」というものは本当の東京人の言葉であり、それもやはり方言であると思います。 自分は今年の四月に、博多である方にお会いしました。その方と話していて、ははあ・・この発音、キレの良さが江戸弁なんだな・・と思いました。 戦国時代、または時代劇としてドラマや映画が作られますが、その中での台詞は当然、共通語です。当時はそれぞれの武将の土地では方言が遣われていたはずです。政宗が秀吉に会った時は、お互い、訛りで話した事と思います。つまり、書状においてのみ、誰にでも分かるような言葉遣いがあったのだろうと思います。 共通語はアナウンサーだけが遣える言葉と思います。東京で自分の訛りを笑った奴らも、後から知った事では、やはり田舎から出て来た奴らでした。 関西弁の人はどこまでも関西弁を押し通します。その為、人気があるタレントをドラマに遣う時は、物語の内容では関西出身という設定にしなければなりません。 亡くなった俳優の笠智衆さんは熊本弁の発音が抜けず、監督から厳しく指摘されたそうです。そして、亡くなった人気アナウンサーだった逸見政孝さんは関西弁が抜けずに苦労したと聞きました。 「方言は故郷の手形」という言葉は死語でしょうが、啄木の歌の「故郷の 訛り懐かし 停車場の・・・・」は、その気持ちはよく分かります。 田舎出身で悪かったな! 東京弁は田舎出身の者達が訛りを誤魔化す為に作られたものと思います。それが共通語となり、東京の人間が共通語を話すのではなく、田舎者が東京弁を遣うのだろうと思います。 という事で「方言を笑うな!この野郎!」と、声を大にして言いたいという事でございます。
東京で生まれ育った人で、方言を笑う人なんているのですかね? 丸野さんも書かれていますが、方言を笑う人は、実は田舎もんなんじゃないかと思います。 だって、「都会で標準語を喋る」のが格好良いと思っている方々でしょうから。 むしろ、そういう態度のほうが格好悪いですよね。東京で、標準語しか話せない人間はそうは思わないでしょう。 私などは、方言は温かみがあってとても素晴らしいと思います。 丸野さんがおっしゃる、方言を仲介するために作られたのが共通語だというのは、なるほどと思いました。 東京には東京の方言=江戸弁があったわけです。 共通語しか話せない自分は、方言が話せる人を、いつもうらやましく思っています。 共通語は冷たいし、キツイ言い方しかできませんから。
秋田弁のぞみん可愛いですよね(^^)
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