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ロブスターを生きたまま茹でる調理法を禁止(スイス)

(霊魂学的)雑記・雑談時事・話題
ロブスターを生きたまま茹でるのは禁止に 事前の絶命を義務づけ - ライブドアニュース
スイス政府は10日、暴れるロブスターを熱湯に放り込む従来の調理法を禁じた。事前に気絶させてから絶命させることを義務づけた。動物保護法の全面的な見直しに伴う措置で、3月1日から適用される
日本でも、生きたままの調理法、多いですよね・・・

生きたまま切り刻まれるとか、生きたまま茹でるとか

じつは、前からちょっぴり気になっていました。

別にやめるべきとか言うつもりはありません。

それが良いとか悪いとか言うつもりはありませんが。

人間は他の命を食べないと生きていけないわけですから。。。

ただ、もし、痛いとか熱いとか苦しいとか感じてるとしたら・・・

自分がされたら嫌だろうなぁと思ってしまうときがあります。

無駄に痛みや苦しみを与える調理法は、やらなくて良いならやらないほうが良いのではないかと思います。。。

さて、この問題、霊魂学的に見るとどうなのか・・・?

生き物が殺される瞬間には、当然、被害者からの攻撃の念が飛びます。

人間も、誰か他の人間を殺した時、不意打ちで相手が死ぬことを分からなかったなら別ですが、正面から「さぁ殺すぞ」と襲ったようなケースでは、被害者は大変激しい恐怖を感じ、攻撃的な念を相手に出します。そのような念はかなり強力で、相手の幽体を激しく傷つけてしまう、と聞いたことがあります。
つまり、殺した側は相手の肉体を傷つけましたが、逆に幽体に反撃を受け傷を負っている、というのが実情なのだそうで。

幽体が傷つくと、すぐには影響は出ませんが、徐々に肉体にも影響が出て、病気になったり、老化が進んだりという事が起きるようです。さらに、幽体がボロボロになったまま死ねば、死後の世界のスタート時点で、病気や障害を負ったハンデのある状態で新しい生活を始める事になるのだとか。。。

どの程度傷つくかは、念を受けた側の幽体の強度なども違うでしょうから一概には言えませんが、何にせよ、そんな強い念を浴びないほうが良いのは当然ですね。

実は、「自分はベジタリアンだから大丈夫」というのは大きな誤解だと聞いたことがあります。

実は、動物は、食べて食べられての食物連鎖の中にあることを理解しているため、補色される、となった瞬間、素直に諦める事が多いのだとか。

「まな板の上の鯉」と言う言葉がありますが、暴れていた鯉が、まな板の上に載せられると大人しくなるのは、そのせいだったのですね。

ところが、植物はそうではないのだとか。

植物は、殺され、食べられる瞬間まで、嫌がっていて念を発している、と聞きました。

おそらく植物の出す念は動物のそれより小さいのではないかと思います。植物は物質の脳を持っておらず、意識活動があるにせよ、それは幽的なものだけなので、動物ほど強い念を出すことはできないのではないか?と思うのですが、個人的な想像でしかなく、私には植物の意識や念をキャッチするような霊感はありませんので、実態は分かりません。

それから、身を切られて食べられる植物は嫌がるということでも、「実」を食べるのは大丈夫なのではなかろうか?と思ったりも。

果実などは、他の動物に食べてもらい、種を遠くに運んでもらうために植物が作り出しているものなわけなので、そこは植物も覚悟の上なのではないかと。。。

いずれにしても、動物は意識があるから可哀想だけど、植物は意識がないなどという考えは間違いなのは本当のことのようです。

動物も植物も同じように生命を持つもの、動物は殺してはダメだけど植物なら殺しても良い、と言う価値観は、人間が勝手に作り出した基準でしかありません。

むしろ、植物のほうが嫌がっているとしたら、植物を食べるほうが罪深いと言えるかも?

人間は、他の生物を殺さなければ(食べなければ)生きていけません。

生命を奪うことが罪であるならば、それは動物だろうと植物だろうと、殺すことは同じように罪深いわけです。

食べなければ死んでしまいますから、生命を奪い、食べていることを感謝して生きていく。

「いただきます」という感謝の言葉は、そのような思いから出てくるものかも知れません。。。

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