トルコは親日国として有名です、それはある事件がキッカケで、その事件についてはトルコでは小学校の教科書に載せて教えられているため、トルコ人でその事件のことを知らない人は居ないのだとか。(最近の教科書には載っていない説も?) 映画も作られましたので、日本でも近年は知っている人も多くなりましが しかし、まだまだ知らない人もいるようで。 教科書にまで載っているトルコに比べると、ちょっとさびしい限りと言えます。 なのでここにも記しておきたいと思います。
1890年、親善訪日使節団として日本を訪れていオスマン帝国(現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号が、帰路の途中、和歌山県串本町の沿岸で座礁・沈没。残念ながら乗船していた587名は亡くなってしまったが、崖をよじ登った69名が灯台に辿り着き、村人たちに救助された。 その際の村人達の献身的な救助が帰国したトルコで大きく報じられ、教科書に載せて今でも語り継がれているため、トルコ人は日本について好意的な印象を持っている。
トルコの人々はエルトゥールル号の件で日本に恩を感じている、というだけの話で終わらせてはいけませんね。 エルトゥールル号の事件を語るならば、もう一つの事件、「テヘランの奇跡」もセットで語りたい、いや語らなければいけないでしょう。 それは…
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1980年に勃発した『イラン・イラク戦争』 3月17日、イラク政府は「3月19日20時以降、イラン上空を飛ぶ航空機を全て無差別に攻撃、撃墜する」と宣言 各国はイランに居る自国民を空路・陸路で脱出させるが、日本だけは・・・自衛隊は海外へ出てはいけないという憲法の縛りのため、救助に向かうことができず。政府から救助の飛行機をだしてくれるよう頼まれたJALも、危険だという組合の強い反対にあい、派遣する事はできないということに。 テヘランの空港にイランに居た日本人215人が避難のためテヘラン空港に集まっていたが、他国の飛行機はそれぞれ自国民を載せるだけで精一杯、日本の救助は来ない。 タイムリミットが迫る中、日本人の窮状を聞いたトルコ首相は日本人のために飛行機を出すことを決断。(危険な飛行だがトルコ航空の操縦士はに全員が志願したという。) テヘラン・メヘラバード空港には多くのトルコ国人も避難を待っていたが、彼らは日本人を乗せてやれと言い、自分たちは陸路での脱出を決断してくれたのだった。 タイムリミットギリギリ、もう撃墜されてもおかしくない危険な空気の中トルコ航空機は離陸、無事国境を越えた・・・。 子の代孫の代になっても、この恩を、日本人は決して忘れてはならないでしょう。
日本の国旗は太陽、トルコの国旗は月ですが、これに関する伝説も個人的には好きです。 太古の昔、日本人とトルコ人は同じ民族であったという説があるのだそうです。 中央アジアで西と東に分かれて旅立った兄弟が、それぞれ太陽と月をシンボルに掲げたのだとか。。。 ※日本とトルコは非常に似た文化を持っている部分があります(たとえば炬燵があったりとか)が、あながちまったく根拠がない話というわけでもないのかも知れませんね。
それにしても・・・「国家」という枠組みは、国民を守るためのものであるはずですが。 日本の国民が海外で危機に陥っても救助にすら行けない日本という国は、国家としての体をなしていないと言えるかも知れませんね。
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