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神の法と人間の法、どちらが大切か

時事・話題
土俵上の救命活動中の女性に降りろとアナウンスした件

【土俵に女性問題】「下りなさい」相撲協会員、口頭でも直接指示 心臓マッサージの女性は看護師「いたたまれず、とっさに…」
京都府舞鶴市で4日行われた大相撲春巡業で、あいさつ中に突然倒れた市長の救命措置で駆け上がった女性に、日本相撲協会側が土俵を下りるよう求めるアナウンスを流した問題…
sankei.com
『このニュースと相撲の女人禁制とを結びつけて後者を批判するのは間違ってる』 という意見を見たけど、はたしてそうだろうか? 相撲は「神事」であるとの主張がある。 ならば、相撲は宗教ということになる。 そして、宗教上のルールを守ることを人命救助活動より優先させる考え方というのは、つまりそれは宗教団体が人命をないがしろにする行為を容認する=宗教団体による殺人を容認する考え方に通じると思う。 極論ではあるけれど、実際に過去にテロによる無差別殺人を行った宗教団体もあったわけで。。。 いやいや宗教ではない、単なるシキタリである、というのなら、そろそろ時代遅れな女人禁制のシキタリは是正してもよいのではないか?と言う話になるだろう。 (※相撲協会は「人命第一、間違った対応だった。指導を徹底していきたい。」と声明を出している。)

「女人禁制」というしきたりは、相撲だけでなく霊山などにもある。

「女性は汚れているものだから」などという理由が言われるが(他にも理由があるのかも知れないが聞いたことがないので)、女性が汚れているのなら、女性から生まれてきた男性も汚れているのでは?
そもそも、神様は、本当に「女性は穢れている」などと言うだろうか?(※)

そもそも、女人禁制というのは、誰が最初に言い出したのか?それを考えると、なんだかバカバカしい気もしてくる。

かつて親鸞聖人は、「女人が救われないのはおかしい」と真剣に悩み、改革を行った。

しきたり、伝統を守ることにも意味はあるが、時代に合わせて改革が必要な部分もあるだろう。

  

(※相撲が女人禁制なのは、女性が穢れているからという理由ではなく、対象の神様が女性であったため、女性が上がると女神様が嫉妬するから、という説もあるそうです。)

熱心な宗教家ほど、「命」や「法律」「モラル」などより、「神のルール」が大事になる傾向は強くなる。

それが行き過ぎれば、聖戦という名のテロが起きるわけで。

しかし、法律を無視したり人命を軽んじたりして、過激な行動があれば、それは反社会的と批判を浴びることになる。

熱心な宗教家の心情としては理解できる部分もなくはない。

ただ、神は人間の法律など超えるかもしれないが、実は、その神の教義やルールを解釈・運用しているのは人間にほかならないわけで。

結局は「宗教家が作った価値観」と法律家などその他の人間が作った価値観の対立という構図でしかない。

つまり結局、人間同士の価値観の問題。

神を言い訳にして、自分の価値観を他人に強要しようとすれば、カルトと呼ばれるのだと思う。

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