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「いじめの責任を教師に取らせるのはおかしい」武井壮の意見はズレていないか?

科学・技術・文化・教育日記・雑記
とあるテレビ番組で「いじめ」をテーマとしたディスカッションが行われ

参加者のある塾講師が

そもそも、いじめって教員が解決しなければならないものですか?

教師はそんな簡単な仕事ではない。多くの生徒を見ている教師は、現実的に考えるといじめに気づけない場合もある。

いじめの原因はほとんどの場合、家庭環境にあるのでは。
という問題提起の発言をした。

それに対してタレントの武井壮氏は

先生とか学校教育というものに、過度に求めすぎだと思う。

いじめが起こっていたら先生は対処はするべき。

しかし、その責任を先生や学校に取らすというのは絶対に違うと思う。

それは個人と親が負わなければダメです。

子供のことも時間使って育てているのも親だし、人間性がわかっているのも親。
と発言。

それが大変共感を集めていた、という事でネットで紹介され話題になっていたそうです。

んー、言いたいことは分かるのだけど、何かズレているような気も。

最初の塾講師の問題提起は、そもそも塾講師にはそこまでの期待はされていないのではないかと思いますので、立場がちょっと違うところからの発言のような気がしますが。

それより気になったのは、武井氏の「いじめが起こっていたら先生は対処はするべき。しかし、その責任を先生や学校に取らすというのは絶対に違うと思う。」という部分。

大部分のイジメの問題の最初の障壁は、教師にイジメ被害を相談しても、相手にされない、対処してもらえない、という事だと聞きます。

「お前が悪いんじゃないか?」「それくら自力で解決しろ」などと言って取り合わない教師も多いとか。

さらには、いじめが問題かした後に、このような教師たちはこぞって「イジメがあるとは知らなかった」「気づかなかった」などと発言するわけです。

知っていて、ある程度の対処、努力はしたけれど、解決ができなかったという場合は、過度に教師に責任を問うのは違うかもしれない。

「イジメについては認識していなかったので、対処できなかった。だからそんな教師に責任を問うのはおかしい」と言ってしまったら、違うでしょ~~~

まず、一番子供達と接している時間の長い教師が、「見て見ぬふり」をする問題に焦点を当てる必要は、絶対あると思います。

(よく「子供を一番見ているのは親だ」という意見がありますが、それも違いますよね。学校に通いだしたら、親は子供が学校でどうしているかなど分かりません。ましてや、他の複数の子供たちとの関係性など、親には絶対に見えないのですから。)

教師の立場の人は、面倒くさい、関わりたくない、という意識が無意識に働いて、抵抗感があるのだと思いますが。

最初の塾講師も、自分の立場でイジメ問題を解決しろなんて言われても困る、という意識が裏にはあったのだろうと思うのですよね。

武井氏は教職免許も持っていて、教師の立場に感情移入しやすい立場の人なのかな?とも思いました。

「教師のイジメの看過」を解決するためにこそ、教師の責任範囲を限定するという必要性がある、というのなら理解できます。

イジメが発生した時に、漠然と教師に「解決しろ」と言うのではなく、教師がどのような行動をとるべきか、どこまで踏み込むべきか、そのガイドラインを決めてあげる必要はあるのでしょう。

その上で、一定の対処を行ったと認められた場合は、教師の責任を問わないというような基準が必要でしょうね。

それほど難しい事ではないような気がします、例えば、「イジメの兆候を知った教師は、その生徒の親にその旨を連絡する」それだけでも良いと思うのですが。

とにかく、「気づかぬふり」「見て見ぬふり」の教師には厳しい批判があってしかるべきだろうと思います。

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