時々、イラッとすることがあります。
それは、例えば
「○△□はここから近い?」
というような質問をされたとき。
思わず
「近いってのはどれくらいの距離を言うの?」
と聞き返してしまいウザがられる事が多いのですが(笑)
(イラッとするのは質問された時じゃなくて、ウザがられた時ですが。)
でも、だって、本当に、分からないじゃないですか?
その人が、どれくらいを「近い」ってイメージしているのか・・・
自分にとっては30分なら近いと思っていたとしても、質問した人にとっては15分以上は遠い、5分以内なら近い、というような感覚でいるかもしれない。
相手がどれくらいの感覚・基準でいるかなんて、人には分からないのだから、近いか遠いかというような、相対的な尺度で答えられるわけがない。
「"近い"か"遠い"かではなく、何分かかるって言えばいいじゃないか」と言うのなら、理解できます。(そもそも近いかどうかという質問がナンセンスということになりますが)
しかし、「普通に答えりゃいいんだ」「普通の感覚で言え」みたいに言い返してくる人がいるのです。。。まるでこちらがおかしいとでも言わんばかり。
あなたの感覚は、私には分からんて。
意外と多いです、こういうタイプ。
いや、例えば、よくあるじゃないですか?
田舎に行って道を尋ねたら
「すぐ近くだよ、信号3つ先」
と言われたのに、行けども行けどもたどり着かない、というやつ(笑)
信号ひとつが都会では十数メートルから、長くてもせいぜい2~300メートルなのが、田舎では次の信号まで5kmとか普通だったり・・・( ̄- ̄;)
人それぞれ、生きてきた世界が違うのだから、その基準も違うわけで。
同じ環境で生まれ育ってきた兄弟とか幼馴染とかならば、ある程度は近い感覚を共有できる部分もあるでしょうが、それだって限界があるわけで。
ましてや、お互い相手の事をよく知らない他人同士だったら、どんな感覚で話しているかなんて分かるわけがないっつーの!(笑)
しかし、分からん人には分からんようです。
そういう人はおそらく、自分の感覚が世界の中心、自分の価値基準こそが全世界の標準、平均ど真ん中と思っている人なのだろうと思います。
しかし、長く生きるほど、色々世界を見て、色々な人を知るほど、基準なんて本当に人それぞれなんだと思うようになるわけで。
ある意味、自分と他人が違う基準を持っている事が分からない人というのは、世間知らずの子供なのかも知れませんね。
以前は私も、それでも、たくさんの人の感覚・基準を全部集めて統計をとれば、ある程度多くの人が集まる領域・基準があるのだろうと思っていました。
しかし、今はそうも思わなくなりましたね。あまりに、世の中、変な人が多い(笑)
みんな、自分は平均的だと思っているのだけど・・・
実は、統計をとってみたら、偏りはなく、全体にまんべんなく、散らばっているのかもしれない・・・
始点と終点のある偏りのあるグラフのようなものではなく、球とか筒に満遍なくちらばっていて、回転させてしまえばどこが中央かなんて分からない、そんなものなのかもしれないと思います。。。
「人はみな、どこかおかしい」(by 寺山修司)
話を戻しますが、「近い?」と聞いてきた人が居たとして、それでも、ある程度、感覚を類推できるような条件を説明してくれたら分かる事もあるわけです。
車で行くのか、歩いて行くのか、一度だけ行くのか、毎日の通勤時間の事を言っているのか、みたいな?
しかし、そういう一切の説明もなく、ほとんど知らない人から唐突に訊かれたら、答えられるわけがない。仮に答えたとしても、それが相手の求めている答えだったのか、お互いに???となってしまうような気がします。。。
そして、それが理解できず、「感覚で言えばいんだよー」とか言う人に限って、他の物事についても、説明が下手な場合が多い。
まず、主語を言わない。
自分が知ってることは相手も知ってると思って話す。
そして、丁寧に、誤解されないように、知らない人にも分かるように丁寧に話そうとする人を、「話が長い」とバカにしたような口調で言う。
しかし、あなたの話は短いけど、意味分からんよ?
いえ、実は、仕事の関係者にそういう人が居まして。
その人と長く話していると、自分の感覚がおかしいのか?とさえ思えてくるのですが・・・
他の人と一緒に打ち合わせをしたときに、やっぱり「その説明では意味分からんよ」と怒られていて、やっぱりその人のほうがおかしいんだと再確認した次第でした(笑)
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