山本KID徳郁を応援して下さった皆様へ
— KRAZY BEE OFFICIAL (@KB_official) 2018年9月18日
山本KID徳郁(享年41歳6ヶ月)が、本日9月18日に逝去致しました。生前に応援、ご支援をして頂きました関係各位、ファンの皆様に本人に変わり御礼申しげます。
尚、山本家、家族、友人への取材等はご遠慮頂き、ご配慮頂けますようお願い申し上げます。
KRAZYBEE
格闘家として有名だった山本KID徳郁氏が亡くなったそうだ。 格闘技で強さを求め体を鍛えていた者も、ガンには勝てず・・・ つい先日、格闘家より金持ちのほうが強い、という記事を書いたばかりだが 金持ちであっても、癌には勝てないだろう。。。 よく、最近は、癌で死ぬ時代ではなくなったなどと言う人がいるが、身の回りで癌で逝った人たちを見ていると、とてもそうは思えない。まだまだ、人類は癌を克服できていない。
スポーツは健康に良いというが、プロのスポーツ選手は、短命であることが多い。それは、体に負担がかかっているからなのだろう。 万病のもとはストレスである、と言う説もあるが、山本氏は、やはり、かなり無理をしていた部分があったのかもしれない。 自分も経験があるが、格闘技の試合に望むプレッシャーは、それは恐ろしいものだ。 普通のスポーツとは違う、相手は自分を直接壊しにくる競技なのだから。。。 球技などのスポーツであれば、どんなにプレッシャーがあろうとも、少なくとも、相手があからさまに自分を殴ってくることはないわけで。 柔道やレスリングなどの組技系のアマチュア格闘技であればまた別だが、プロの格闘技は、相手が本気で殴りかかってくるのである。その恐怖とプレッシャーは、尋常なものではない。 さらに、もしかしたら、筋肉を鍛えるための薬物等の摂取もしていたかも知れない。
単なる趣味ではなく、他者と競いあい、勝ち負けがはっきり出てしまうような世界で、プロとして食っていくには、かなり無理もしなければならないのだと思う。 プロとしてやっていけている人間は、普通にやっていてはできない事を、どこかしら、何かしら無理してやっている部分があるのだと思う。 ましてや、世界一になるような人間なら、きっと命を削るような無理をしている部分があるのだと思う。そうでなければ、世界一など取れはしないのだ。 私は寿命を縮めるほど、体に負担がかかるような無理なトレーニングはしなかったから、プロになれなかった(笑) そうしないと勝てない、それが分かったから、私はやめた(笑) 時の経つのは恐ろしく早く、肉体が衰え、滅びていくのはあっという間であることを、歳をとるほどに実感していったから。 若いうちは修行が足りないから、達人にはなれない。 歳をとると、修行は十分でも、今度は体が老いて動かなくなっており、結局若い頃と同じことはできない。 結局、武道や格闘技の、極めた強さなどと言うものは、短い人生の中では一瞬の輝きでしかなく、幻でしか無いのだ。 肉体の衰えというのは、体を鍛えていたら起きない、というものでもなかった。 人間の肉体はじつに良くできていると思う。ある時期が来ると、タイマーでスイッチが入るかのように、老化が始まるようにできているのだ。 達人ともなると、歳をとっても若い人に負けない神業を見せるように見えるが。 歳をとってみて分かったのは、歳をとっても平気そうに見せているのは、
スポンサーリンク
達人と言えども、ただのやせ我慢だったのだということ(笑) 仙人のような達人の老人が居たとしても、体は絶対に歳でガタが来ているのだ。 ただ、それをカバーする技を工夫し、ごまかしながら、平気なようにみせているだけなのだと思う。 それが証拠に、200年、300年と生きた人間は、達人になったからといって存在しない(笑) どんな達人だって、みんな一般人と同じような年齢で死んでいる。 老化と死は、すべての人に平等に訪れる。
私が子供の頃、もう少し賢かったら、武道ではなく、金持ちになることを志していただろう。 人生についてもっと深い見識があったなら、武道ではなく医者を目指していただろう。 と、思ったことがある(笑) スポーツで体を鍛えても、病気には勝てない。 病気を研究し、病気と戦う医者という仕事は、ある意味、格闘技者よりも強いと思う。 人の共通の敵、それも、格闘技の達人でも勝てないような敵と戦う仕事なのだ。そして、人のためになり、人に感謝される仕事でもある。 こんなやりがいのある仕事もないだろう。 激務で、人生あっという間に終わってしまいそうな仕事でもあるが。。。
「人生は、何もしないには長すぎるが、何かをするのには短かすぎる」という言葉があるが、よく言ったと思う。
道を極めるのには、人生は短すぎる。
たとえ、長い時間の死にものぐるいの修行の末、達人の境地に到達できたとしても。
その頃にはもう体は老いており、残りの時間はごく僅か、やがて死を迎えれば、何も残らず消えてしまうだけだろう。
そんな、一瞬で終わる虚しいものではなく、もっと普遍的な何かが欲しい。できたら死後の世界まで持っていってなお続き、輝くようなものを。
もともと格闘技にプラスになると思って、霊的な身体のトレーニング法を模索しはじめたのだった。
肉体を鍛えるだけではなく、肉体と重なっている霊的な身体を鍛える必要があると考えたからだった。
しかし、やがて、人生の虚しさを知る時、霊的なトレーニングのほうがメインテーマとなっていった。
自分は、霊魂学を宗教だとは思ってはいない。死後の世界の科学だと思っている。しかし、物質の科学では照明できない、信じるか信じないかという事になってしまうので、やはり信じない人からみれば宗教と同じなのかもしれない。
しかし、宗教は、(それが真実であるならば、だが)死後の世界まで持っていくことができる、普遍的な活動であるとも言えるのだから、虚しくはならないだろう。
まぁ、信じるか信じないかはアナタ次第 m9(  ̄  ̄)
な世界なので、誰にも無理強いすることはないが。
人はみな、何も分からない。
人は、自分がどこから来たのか、なぜこの世に生まれたのか知らない。
なぜ人類が地上に誕生したのか、みな知らない。
人はみな、何も分からないけれど、目を閉じたまま、自分の信じた道を進んでいる。
そして、あっとう言う間に、みな死んでいく。
沢山の人が死んでいくのに、死後の世界がどんな世界なのかを、誰も考えない不思議な時代。。。
コメント