お品書き
書き直し中…
とりあえず、中へどうぞ
↓↓↓
スポンサーリンク

今の小学1年生はサクランボ計算をさせられているとか

科学・技術・文化・教育時事・話題


なるほど、やってることは普通に理解できます。

暗算する時に脳内でこういことをすることはありますね。

実際は数こなしてるうちに暗記してしまうのでいちいち脳内で分解して計算したりはしませんが

こういうやり方がちゃんとできるようになっていると、複雑な暗算をするときに、考え方として役に立つケースもあるかなと思います。

これが理解できないと言う人がいて、ちょっとなぜ理解できないのか理解できない、と思うわけですが。

どうやら、問題はそういう事ではなかったようですね。。。


ああ、なるほど、これはダメですね、おかしいでしょう。

サクランボ計算の過程を、計算式の下に書き込まないと減点されるらしい。

何がダメって、試験用紙に、さくらんぼ計算の過程を記入するようにどこにも書いていない事。

大人が黙ってこの問題用紙を渡されたら、全員減点されますわな。

この試験用紙を作った出題者を盛大に減点すべきでしょう(笑)

最初のツイートのように、サクランボの絵が書いてあって、中を埋めなさいみたいな出題だったら、面倒なだけで中を埋めないと減点は仕方がなかろうと思いますけどね。

「口頭で指示があったのでは?」という意見もあったようですが、言った言わないで証拠がないですから、アウトですね。

さくらんぼ計算の是非については、賛成・反対双方の意見を聞いていると、それはもはや教育論の違いであって、どちらが正しいと断定することはできなさそうですが。

ただ、出題されてない暗黙の了解があって、それが守られていないと減点というのは、ダメです。

ルールが明示されていないゲームをやらされて、あとになって「それはこのゲームで反則だったんだよ、残念だったね」と言われたら、納得できないでしょうw

暗黙の了解があったと言うかもしれないが、それは証拠が残らないし、不確定要素で後で修正が効く話になってしまう。ルールが隠されたゲームと同じ。

最近よく議論される話題に、小学校で、「まだ教わっていない計算方法を使って答えを出す間違いにされる」というのがありますが。

これも賛否両論とは思いますが、これも同じ問題だと思うのです。

もし答えを出す方法を限定した試験をしたいのなら、出題側がそれを事前にちゃんと指示しておく必要がある。

解き方の指示がなかったのに、正しい答えを出しているのにそれを「間違い」とするのは、どう考えてもおかしい。

つまり、出題側の怠慢だと、個人的には思うのです。

ルールにちゃんと明示されていたと過程した場合。

より新しい効率の良い方法を知っている子に、古い効率の悪い方法で解く事を強要するのはどうなのか?

これも賛否両論だと思います。

「ルールはルール、ちゃんと明示されているのだから、面倒くさくてもやるべき。」と言う意見もあるし、「学習意欲を削ぐ」と言う意見もあるようです。

コレに関しては、私は、どっちも正論だと思うのですけどね(^^;)

例えば、様々なスポーツなどを指導するときなどに、「基本は大事」とよく言います。

そのために基礎練習をみっちりやることが大切である、と言うわけです。

一方、それではどうしても、生徒達からすれば、基礎連なんて面倒くさくてやりたくない事、なんですよね。

基礎は大事なのだから、きちっと指導者に従え、というのが正論だとは思いますが、それを強要するためには、基礎をしっかりやっておくとどんな良い事があるのかをきちんと明確に説明しておく必要があるのではないかと思います。

実は意味のない、むしろ悪影響すらある間違った基礎練習を強いているケースも多々あると思われますので。

このような問題もあるのだとか・・・

「計算の途中式を書くと×にされるので、消しゴムで消す」
計算問題の「途中式」書いたら不正解!? 小学校の指導に「意味がわからない」
計算テストの答案に「途中式」を書いたら不正解に――。小学校に通う子供が、教師からこうした指導を受けていると訴えた父親の報告ツイートが、インターネット上で注目を集めている。この父親の投稿には、「うちも全く同じ」「『消すように』と指導されてた」と共感の声が広がったほか、こうした指導法に「意味がわからない」と困惑するユーザーも続出している…
www.j-cast.com
この問題のやっかいなところは、指導する者によって、途中式を書くと×のケースと書かないと×のケースがあるということだと思う。

明確な答えはない、教育論の違いに過ぎないのかも知れないが・・・

いずれにせよ、「答えを出す」事が目的なのだから、その途中の経緯が問題となるのはそもそも本末転倒な気はする。

結局、何のために勉強しているのかというと、将来何かしらの創造性を発揮するために役にたつからだと思うので・・・そういう意味では独自のやり方をしている子が居たとしても、結論として正解に辿り着けるのであれば、途中経過にあまりフォーカスしないほうがよいのではないかと、個人的には思う。。。

さらにもうひとつ
これは、完全に減点した教師が間違っています。

陸上競技の短距離100mで、10秒ジャストのタイムを出した選手が居た時に、結果を「10秒」と書くことはないわけです。「10.00」と書くことで精度を表現しているわけで。

隣の問題では小数点以下を書いて正解となっているのだか、なおさらおかしい。

「ゼロは消す」というルールなのかもしれないが、そのルール自体がまったく意味不明、根拠不明

社会において、小数点以下まで表示されている数値を、ちょうどゼロだからと丸めてしまったら、精度が低くなるので絶対にNGとなります。

だとしたら、なんのためにその謎ルールを教える必要があるのか?

減点した教師がそのルールを小学生に教える理由を明確に説明できないのだったら、教師が間違っていると断言できます。

どうでもいい話ですが、昔、とある空手の流派の試合のルールを思い出しました(笑)

それは、攻撃側と防御側のターンが決まっていて、防御側になった側は、防御以外してはいけない、と言うルールでした。

あくまで初心者向けのルールとして、それはそれで有りだとは思うのですが、他流の経験者だった私には、それに従うのは苦痛でしたねぇ・・・(^^;)

だって、私が追求していたのは、

相手の攻撃をどれだけ速い段階で止められるか?
攻撃を止めたら次の攻撃をできないよう、相手の体勢を崩せるか?
相手の攻撃しにくく自分が攻撃しやすい位置に移動できるか?
相手の攻撃の瞬間にカウンターが取れるか?

というものだったので・・・(笑)

どれかひとつでも実行すると、その時点で注意されてしまうのです。。。(^^;)

下手をしたら、一番目の段階で、相手が動き出した瞬間に押さえることに成功してしまうケース(ストッピング)もあるのですが、それさえも注意される・・・(*_*)

相手が攻撃してくるのを、ただ黙って突っ立って待っていろ、攻撃はガードを固めて受け止めてやれ、という感じ?

私にはそれは無駄にしか感じられなくて・・・ともすると反射的に上記の動きを身体がしてしまうので、苦痛でしたね。。。

まぁ、その流派の考え方、方針の違いなので、郷に入ったら郷に従え、仕方がないのですが。。。

今にして思うと、あまり高等な理論がある流派ではなかったかなぁ・・・

コメント