ある日、急に心臓が正常に動かなくなり、強制入院させられてしまった。 「・・・あれ???」
人間は、誰でもいつか必ず死ぬ 「ええ、そんな事言われなくても分かっていますよ!」 「当たり前のことです!」 頭では分かっているつもりだったが、あえなく、分かっていなかった事を思い知らされた。 いや、思い返せば10代の頃は死というものを今よりは意識していたように思う。大人になって、日々の仕事、日々の生活に追われるうちに、いつのまにか忘れてしまっていた。 しかし、天災は忘れたころにやって来る。 私の場合、それを思い出させられたのは、不整脈というアクシデントに見舞われたからだった。(それも思わぬ重症で、入院を余儀なくされてしまったのだった。) 天災ならば、万人が経験するわけでない、一度も災害を経験しない人も居るだろうが、しかし、「それ」は、誰にでも確実にやってくる。
たかが不整脈、今の医療ならば心配するほどの事でもない。が、やはり心臓の不調は良い気分ではない。 心臓に不安があると、多くの人が「心臓神経症(※)」というものになってしまう事が医者を悩ませるという。 ※心臓に不調を感じた時、このまま死んでしまうのではないか?という不安や死の恐怖を感じ、酷い場合はパニック症状を起こして救急車を呼ぶ騒ぎになる事もあるそうだ。 気持ちは良く分かる・・・心臓はひとつしかない、それが止まれば死んでしまうのだから。 これまで、明日はずっと続くと言う前提で、仕事や生活を送っていた。心臓が不調になってからは、明日もたぶん続くけれど、突然終わるかも知れない、両方の準備をしながら生きていく事になった。 大袈裟かも知れないが、死ぬ準備をしておくことも、悪いことでもないだろう。最初は身辺整理などの単純な準備作業だったが、それがひと段落して、色々考えるようになった。しかし、考えれば考えるほど気づかされたのは、「死」について考える事は、「生」について考える事だ、と言うことだった。 死を考える事は、どうやって生きるか、どんな人生を生きるか?それを考える事に通じる。 死ぬ準備をしていたはずが、考えれば考えるほど、それは生きる事を考える事に繋がっていくようになった。
以前、たまたま知り合った学生と話していて、将来の進路を迷っているという相談を受けたことがあった。いや、実際には私は応えずに、もっと経験豊富な人生の先輩に任せてしまった。今なら、私も少しは答えられる事があるかも知れない。
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