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「やりたい事」と「向いている事」はみんな違う

まだ自分探ししてるの?
背の高い人はバレーボールやバスケットボールを、背の低い人は競馬の騎手など背が低いほうが有利な道を選べばよいのだろう。

しかし、それは本当に自分のやりたい事なのか?と言う問題になる。
自分がやりたい事、やりたくない事と、自分が体質的・才能的に向いているかどうかはまったく別の問題なのだ。

自分がやりたい事と、自分の持って生まれた才能が一致している人はラッキーだが、そんな人は多くはない。

人は、自分が持っている選択肢の中で、自分に許された条件の中で、チャレンジするしかない。それが人生なのだ。

そして、その選択肢の中には、向いているもの(条件の良いもの)、向いていないものもある。向いていないものを目指す事は、実現のためにより多くの人生の時間を必要とする。

それは自分の人生の中では実現できない事かもしれない。

自分の選択肢の中には、実現できるものとできないものがある。

何を選ぼうと自由であるが、自分が最終的にそれで満足できるのか。
人生最後の時にそれで満足であったと言えるかどうか?

難しい問題ではあるが、才能があるかないか、ではない、また結果が出せるかどうか(実現できるかどうか)でもなく、満足できる人生を選ぶかどうか、それが人生を終えた後に後悔するかどうかにかかっているかもしれない。

たとえ結果が出なくとも、何も実現できず失敗続きで終わっても。チャレンジし続ける人生に充実感と満足を感じられる人も居るかも知れない。

人は、いつの時点でも、自分の選択肢を確認する事はできる。

残りの時間はどれくらいかは、分からない。

職業選択については、「得意/不得意」「好き/嫌い」の2つの軸で表すことができる。

「得意/不得意」は自分の「出来る事/出来ない事」と言い換えてもいい。



領域は4つ

(1)「好き」かつ「得意」
(2)「好き」だが「不得意」
(3)「嫌い」だが「得意」
(4)「嫌い」で「不得意」

1番幸せなのは、(1)の「好き」でかつ「得意」なことを仕事にした人だろう。しかし、意外にこの領域にいる人は少ないかもしれない。

(4)「嫌い」で、かつ「不得意」な分野の仕事に就く人は、よほど特殊な事情が有るなどでなければ、ほとんど居ないと思われる。仮にその仕事に就かなければならなくなったとしても、好きでもなければ得意でもない(出来ない)事なのだから、結果が出ないのは間違いない。

(3)の「嫌い」だが「得意」な事、というのは、世の中よくあることで。

私自身もそうだったけれど、能力的・性格的にとても向いていると言われた仕事があった。確かに自分自身を客観的に見ても、向いていると思った。しかし、その仕事は好きではなかった。結局、その仕事は辞めて、違う仕事に就いた。

それでも、選択肢がない、切羽詰まった状況や事情があるなら、その仕事に就く事は拒否はしない。

自分に出来る、自分に得意な領域なので、それほど苦労することなく結果が出せるからである。

(1)の領域は、実は選ばれた限られた人間しか慣れない狭き道でもある。

1番多いのは、(1)と(3)の中間「好きでも嫌いでもない」が「得意」(または「できる」)な領域だろう。

好きでも嫌いでも良いが、とにかく、自分の得意な領域を仕事にするほうが楽なのは間違いない。

不幸なのは、(2)の領域、「好き」なのに「不得意」な領域を目指してしまう人・・・

いつまでも結果が出ないのに、いつまでも夢を追い続けてしまうようなタイプの人。

どんなに貧しくとも、どんなに苦しくとも、夢を一生追い続ける事ができる人生は幸せである、という見方もできなくはないが・・・そう本当に思えるか?(笑)

思えるなら、とにかく好きなものを仕事に選んでも良いと思う。

しかし、結局は、仕事は食べていくためだけの方便に過ぎないと思うなら、あるいは、好きなことが何か分からないなら、とにかく自分に出来ること、得意な事は何かを考えて、それが活かせる領域のしごとを選ぶべきだろう。

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