が・・・
中学1年の時、読書感想文に「つまらん」とだけ書いた。すると何故か教頭先生(元国語の教員)に呼ばれ「なにがつまらないか箇条書きにして持っておいで」と言われ、それを書いて持って行くとその場でするすると繋げてくれた(続
— O_samu@ぬこバカ一代 (@odoru_samurai) 2017年8月1日
そうしてそれに僕がまた書き足して教頭先生も書き足して・・・と何度か繰り返していると400字原稿用紙が10枚くらいになった。最後に出来上がったものを読み返すように言われ、そうすると「これが評論というものなんだよ。よくがんばったね」と言われた。僕は国語が大好きになった。
— O_samu@ぬこバカ一代 (@odoru_samurai) 2017年8月1日
夏の懐かしい思い出。
— O_samu@ぬこバカ一代 (@odoru_samurai) 2017年8月1日
しかし、そもそも、、、、
「面白くない」「つまらない」理由を説明するのは、「悪魔の証明※」な気が、常々しておるのですよね・・・
※「在る」事の証明はできても、「無い」事の証明はできない、というヤツですね。
道端に落ちている石を拾って「これ面白い?」と訊かれても、面白くないとしか答えられないですよね・・・
まぁ、そこを分析して論評するのが評論家の技術なのだろうと思いますが。それには、「何が面白いか」がまず定義されていて、その上で、何が欠けているか、という事になるのだと思います。
さて。
拾った石ころ一つ
みなさんならば、どう論評しますか?(笑)
コメント