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正義が力なのではない。力が正義なのだ

エンターテイメント・アート政治・経済・法律
「正義が力なのではない。力が正義なのだ。」

タイガーマスクというアニメの冒頭で叫ばれるセリフですが。

しかし、子供の頃、この言葉を不思議に思っていました。

正義が勝つんじゃないの?正義が力なんじゃないの?と・・・(笑)

しかし、大人になった今なら分かりますね、力が正義なのだという意味が(笑)

子供の時代にも人間関係の問題はありますが、それでも、子供のうちは、何が正しいか、何が正解かは大人が示してくれている世界です。試験には必ず正解が用意されている、それが学生の時代。

しかし、大人になって社会に出て、人間関係に苦しむようになると、答えのない問題に出会うようになり、苦しむようになりますね。

意見が衝突し、しかも、どちらの意見が正しいのか、分からない。

誰も正解を決めてくれない。

何が正しいか、何が間違っているかは分からない、どちらとも言えない状況で、自分の意見を通すためには、正しいか間違っているかではない、別の基準が必要になる。

多数決で自分の意見に賛成してくれる人を多く集めたほうが、正しいということになってしまう。

それは、意見が本当に正しいかどうかではない、別の基準で決まってしまうことが多い。

仲良いとか悪いとか、そういう事もあるでしょうが、そんな子供じみた話ではなく、社会ではそれ以上に、お金による繋がりがほぼ全てとなっていく。

これも、金を渡して自分に賛成してもらうなどという意味ではなく。

例えば、仕事をくれる取引先の人に投票せざるをえなくなる。その人が失脚すると、自分の仕事もなくなってしまい、家族を食べさせていけなくなる。そう考えれば、賄賂などもらわなくても、自分の取引先やお客さんを応援せざるを得なくなるわけです。

何らかの利権、利害関係が生じる関係、そう言うことで、社会のほとんどの関係はできています。

その中では、より多くの、より強い利害関係を生み出す事ができた者の言うことが正しいと言う事になっていくわけですね。

多数決の民主主義社会というのはそのようなものです。

つまり、より力(喧嘩の強さではなく、権力)のある者が正義の基準を決めることになるわけですね。

戦争というものを考えればもっと分かりやすいかもしれませんね。

正しい者は後の歴史で正しく評価されると言う人もいますが、それも違う。

過去の戦争を振り返れば(そして敗戦国となった経験から言えば)、戦争は、勝った国が、「自分たちが正しかった」「正義を執行するための戦争だった」と後の歴史書に残すわけです。
勝った国は、自分たちに都合が良い情報しか記録させません。負けた国は、一切発言する力はないのです。

これもまた、力が正義という人間界の現実ですね。

もう70年以上前の事になりますが、日本が敗戦国となった大東亜戦争もそうでした。
戦勝国は

「日本は世界侵略を目論見、アジアを侵略し酷い目に合わせた」
「日本が卑怯な事をしたので戦争になった」

などと吹聴し、いまだにそれを信じている人が多いとか。

しかし、一方で、日本は、当時白人たちに支配され搾取されていたアジア諸国を解放するための戦いであったと言う見方もあるわけです。

受け取る側の国の受け取り方次第なので、そうではないと感じる人もいるかも知れませんが

あの戦争の後、地球上から "植民地" がゼロになったのは確かな事実です。。。

タイガーマスクのセリフは、子供には理解できない、ずいぶん難しい理屈を語っていたのだなぁと思います(笑)

タイガーマスクは孤児で、社会で生きていくために苦労し、汚いものもたくさん見てきた、そんな人物の話なわけですから、当然ですね。

大人になって振り返ってみると、子供の頃、何も考えずに見ていたアニメなどが、実はかなり社会を皮肉っていたりするシュールな話であることに気付いて驚いたりしますね(^^;)

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