「学校に行かなくて良いんだよ」って言うのは簡単。でもその子が不登校になることでかぶる不利益は誰も責任を取ってくれない。僕は、いじめが発覚した時点で学級閉鎖にして、いじめていない子には普通に授業を受けてもらい、いじめた疑いがある子を問題が解決するまで自宅待機にするのが良いと思う。
— 春名風花 official (@harukazechan) August 25, 2019
「虐められた」と言う子が嘘をついているケースもありえるのだから 片方の主張を鵜呑みにしてしまうのは非常に危険でしょう。 世の中には、自分が悪いのに、被害者のフリをするのが上手な人間も居る。 たくさんいる。 客観的に見れば明らかにその人間が悪いし、明らかな証拠もある状態ですら 「自分は悪くない」 「自分はやってない」 「相手が悪いことをした」 「相手が悪い」 と言い続けるような人間が、世の中には居るのですから。
イジメ問題は解決すれば良いなぁとは思いますし、そのために真摯に取り組んでいる人が居るのは素晴らしい事だと思うのですが 反面、イジメ問題に取り組んでいる人の発言を見ていて、怖いなぁと思うこともしばしばあるのですよね。 それは、差別問題とよく似ているように思います。 事情がよく調査されず、頭から「悪い」と断罪されてスタートする。 「差別だ!」と叫ばれると及び腰になって思考停止に陥り、内容や原因はロクに調査もされず、ダメだと断罪されて終わる。 しかし実は、差別でもなんでもない事、差別と叫んでる人間が自分の我儘を通すために理不尽な要求をしているだけだったりするケースというのもよく聞く話。 イジメもそう、「虐めは良くない」という風潮が変に人権問題のように過敏に扱われるようになった結果、「イジメがあった」と言われると、その自称被害者側の主張をそのまま鵜呑みにして、事情は精査されずに加害者側が悪い、「とにかくイジメは悪い」と断罪されて終わってしまうケースも、実はよくあること。 例えばこんなケース…
とある小学校の低学年のクラスで、A君がみんなに虐められていると訴えた。休み時間や放課後に、みんなで遊んでいるのに、A君だけが仲間はずれにされいる、これはイジメだと言うのだ。 実際、クラスメイトは皆A君を避けていたが、実は、A君は、いつも人の物を奪って返さない、そして気に入らない事があるとすぐに暴力をふるうクセがあった。しかし、大人の居る前はそういう素振りを見せず、影で卑怯な事をするのだった。 クラスメイトはイジメをしようと能動的に行動したわけではなく、一緒に居て楽しくない、それどころか嫌な思いをするので、自然に距離を置くようになっただけなのだった。
しかし、結果的に、みんなが仲間はずれ状態にしていたのは事実。 クラスメイトはA君が悪いと言ったが、うまく説明できず、証拠もないため信じてもらえず。 大人たちは「イジメられる側が悪いなんて言ってはいけない」とさらに強く叱るだけだった。 これでは、問題は解決しない。 そもそもこれをイジメと呼んで良いのかも問題があるし、「イジメられる側に原因がある」というケースも実際にあるという事を大人が考えていない事にも問題がある。 問題は、常に客観的に事実を調査し、公正に判断する必要がある。 特に、子供は自体をうまく言葉で説明できない事が多い。それを汲んであげる必要も出てくる。 確かに、イジメられた側だけが学校から排除されるのは、不条理・不公平ではある。 しかし、イジメの「疑い」の段階で、加害者とされた子を登校禁止にするのでは、被害者側の子の学校へ行く権利を奪うことと、理不尽さでは何ら変わりはない。
①昔はいじめられても休ませてもらえず無理して登校する子ばかりだった。それが僕の世代に「行かなくて良いんだよ」と言って貰えて、救われる子が出てきた。でもいつしかそれだけが正解になり、「いじめられるのがイヤなら学校に行かなきゃ良いのに」とか「被害者を転校させて全て解決!」ってなった。 https://t.co/RoNmLn5ZLg
— 春名風花 official (@harukazechan) August 25, 2019
イジメの問題が解決しない、もっとも根本的な理由が語られていないと思う。 それは当たり前の大前提だからあえて語る必要がないのか、あるいはその理由に気づいていないのか、分からないけれど。 解決しない最大の理由は 教師や大人達が真剣に向き合おうとしない からでしょう。 イジメがあるという訴えがあるのに、教師が 「イジメなどない」 と言い張ったり 「イジメがあるとは気付かなかった」 と見て見ぬ振りで逃げたりするのは、本当によく聞く話。 これがイジメが解決しない最大の原因でしょう。 イジメは、人間が人間である限り、永遠になくならない。 大人になって社会に出てからも、親族間でも、どこにでもあるし、続く。なくなりはしない。 「イジメそのものを根絶したい」というのは無理なのだと思う。 それは、イジメというのが、明確に被害者と加害者が居るような、正邪善悪が明らかなケースばかりではないからである。 双方に言い分があり、それは、どちらが正しいと明確に言えないような問題が多い、それが人間関係というものだ。 物事にはすべて、理由がある。 イジメは、加害者側にも被害者側にも理由があるのだ。(否、理由があるケースがある、というべきか。もちろん、中には本当に被害者側に一点の非もないケースもあるだろう。) もし、双方に理由があるというケースであった場合、それを片側の主張だけを正義と決めつけても、解決はしない。 解決には、反撃するとか、話し合うとか、色々な方法があるが、ケースバイケースであり正解はない。 イジメからの唯一「確実」な正解は「逃げる」 だから、緊急避難として、「無理に学校行かなくて良い」となった。 イジメで自殺するくらいなら、行かなくて良いんだよ、と言うようになった。 しかし、それでは確かに、虐められた側が排除されただけで、解決になっていない。 その指摘は事実。 ならば、問題があると認識された時に、双方を「隔離」するのは良いアイデアだと思う。 どちらか一方だけから権利を奪うのは、間違っている。それは、被害者側も、加害者側もである。 イジメはなくならない。そして双方の権利を侵害せず解決したい。 ならば、学校へ行かなくてよい、から一歩進んで、「隔離」を考えるのはよい事だと思う。 いや、隔離ではなく、分離というべきか。監禁的なものではなく、接触しないよう、生きてる世界そのものを分ける。 ただ、これも結局、教師たち、大人たちが真剣にやる気にならないとできない話である。 教師個人の責任に押し付けてしまうのも違う。 全ての教師・大人たちが真剣に解決しようという気になれば、色々なアイデアも出るし、色々出来ることはある。 結局、教師や大人たちが、問題から逃げて真剣に解決しようとしないから、イジメは解決しないのだろう。。。
※仮に、イジメの被害者と加害者をどんどん分離していく社会ができたと想像したら・・・ 結局、また分離した世界でイジメが発生するような気は、しないでもない。 そもそも分離は緊急的な対症療法に過ぎないので。原因を究明して除去しないと解決はしないだろう。 だけど、イジメそのものが、人間の性(さが)に根付くものだとしたら・・・? 人間が居なくならないと、解決はしないのかも知れない・・・などとも思う。 人間って、なんだろう? 人間は何のために生まれてきたのか? 謎です。
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