よく、 「人生やり直したいか?」 「人生やり直せるとしたらどうしたい?」 というようなファンタジックな質問があるけれど・・・ 私は、やり直したいと思わないんですよねぇ・・・ 多分、もう一度やっても、同じ人生を歩む気がするのです。 別に、今回の人生が素晴らしい最高だとか、常に100%出し切って、全力で生きてきたから悔いはないとか、そんなことを言うつもりはありません。 人生というのは選択の連続ですが、同じような選択肢を繰り返した時に、多分、自分はもう一度やっても同じ選択をしてしまうだろうと思うのですよね。 細かい失敗も多いですし、もう一度やったら細かく見れば違う選択肢を選ぶこともあるでしょうが、トータルで見た時に、こういう人生になるだろうなぁ、というのが、今と変わらないんですよね・・・(笑) 取り返せないほどの大きな失敗をしていないというのもあるのかも知れませんが、そうならないような生き方をしてきたのも、自分らしい生き方なんだろうと思います。
自分が行きたい場所が川の向こう側にあって、そこに崩れそうな橋が架かっているという時、それを渡るかどうか? 「崩れる確率が五分五分なら絶対渡るでしょう」と言った人がいました。 しかし私は、9割以上でなければ渡らない。できれば10割保証が欲しい。そういうタイプですね(笑) 五分五分で渡ってしまう人というのは、大成功もするけれど、大失敗もするタイプでしょう(笑) 9割でも考えるタイプは、多分人生大成功もしないけれど大失敗もしないという人なんだと思います。 私は明らかに後者ですね(笑)
人生を振り返って、細かく見れば、もちろんタラレバはあります。 例えば、学生の頃、美人の恋人と別れてしまったとき。後でとても後悔して、長く引きずりました。 あの時、あんな事言わなければ・・・と言う事はありますが。 しかし、もう一度人生やり直せたとして、その時にその言葉を言わずに別れを回避できたとしても、いずれ、やっぱり別れただろうと思うんですよね。とても難しい性格の女の子でしたので(笑) 何度でも人生をやり直せたとして、(そう言えば「トドメの接吻」なんてドラマがありましたね) 仮に、その恋人と別れず添い遂げる人生になったとしても。その人生が良い人生であったかどうか、というのは、まぁ別の人との人生であっても、大差なかったんじゃないかなぁ、と今の歳になると思うのもあります。 暗中模索・試行錯誤をしてきた結果、やっと分かった結論やメソッド、知識と経験を持って、もう一度人生をやり直せば、色々と上手く行くこともあるでしょう。 が・・・「どんな人生が幸せであるか?」というのは、結論がないので、一緒かなぁなどと思ったり。 まぁ、何度かやり直せるとして、若いうちに金儲けして、あとは安泰に面白おかしく人生を過ごす、という程度の話でしか無い。それが幸せかというと、そうでもないんじゃないかとも思ったり。 ⇒ 人は比較対象がないと違いを感じられない・・・ むしろ、人生イージーモードになってしまった結果、かえって面白くないと言う事もあると思うので。人間というのは生涯がないと喜びもないし、また、どんなに恵まれた環境に居ても、必ず不幸を見つけ出すものなのだと思うので。 おそらく、何回やっても、百回人生をやり直しても、百回、新しい悩みや不幸に直面するんじゃないんですかね?(笑)
ずっと、何度考えても、人生やり直しても一緒だろうなと思っていたのですが、ひとつだけ、やり直したいなぁと思うことを見つけました。 それは、"霊術" をもっと早くにちゃんと身につけておくべきだったと言う事。 契山館では、霊的身体を成長させる技法や、祓いや治療法などの霊術を教えてくれますが、そういうのは自分は一生やらないだろうなぁと思ったんですよね・・・(武道を志していたので、自分の霊的身体を鍛え成長させることにしか興味がなかった。) ※スピリチュアルな話は、信じるか信じないかはアナタ次第 m9(  ̄  ̄) です。 (なので気にいらない方はスルーで。。。たまに紹介することはありますが、強引に薦めることはありません。強引な勧誘、そして辞めさせないからカルトになりますね。何を信じるかはアナタ次第 m9(  ̄  ̄)) しかし、(素直な感想として)、使わないだろうと思ったその霊術が、とても有用だったのです、特に「呪いの無効化」 ※呪いというのは、必ずしも怪しげな儀式をやるような話ではなく、嫉妬や妬み、恨み、怒りなどの念ですね。生きていれば誰でも浴びる事がある、避けられないものだと思います。 それが、稀に・・・いや結構頻繁に?酷い悪影響をもたらしたりしているようです。 むしろ、呪いの無効化の術を知らない人は、この厳しい現代社会で、どうやって生きてるんだろう?と思うほどで・・・ 結局、最初に教わらず機会を逃してしまい、大分後年になってからちゃんと教わったのですが、若い頃は絶対使わないだろうなと思った霊術が、思った以上に効果があって、重宝しまして。 職場で、どうしても合わない嫌な奴が居たりして。どうも強い年を浴びている、そのせいで病気になってしまった、というような場合 呪い返し(呪いの無効化)を行ったところ、相手が体調を崩して倒れたり、すぐに異動になっていなくなったり、と言う事がよくあります。 単なる偶然だろうと言う人もあると思いますが、偶然にしては、そのような現象が多すぎるような気がするのですよね・・・まぁ効果があろうと偶然であろうと、つらい状況にあるときに、そのような技を試してみたくなるのは人情ですよね。 もっと若いうちからこの技術を知っていれば、少し人生が楽だったかなぁ、と思うわけです。 それから、家族ができると、どうしても、霊術が重宝するケースが多くなります。現代社会は霊的にはとても汚れた悪い状態しかない、という状況ですので・・・ 学校に行っても、会社に行っても、街を歩いているだけでも、霊的に悪い状況に遭遇することはあるわけで。質の悪い気を吸い込んでしまえば病気になったりもしますしね。葬式に行ったら付着した間気を洗い流したりもしたいわけです。 ☆呪い返し(呪いの無効化だっちゅーの)は、相手が倒れたりもよくしますが、それは相手が呪い(攻撃的な念)を発しているからであって、何もなければ何の影響もありません。 しかし・・・若い頃は、自分が誰かを呪ってみたいというような事は、まったく思わなかったのですが。 しかし、歳をとって、最近思うこと、呪いの技があるなら、やってみたいと思う相手もたまにありますね(笑) 嫌な奴は、どの世界に行っても居ます。意地悪をされたり、いじめられたり、憎たらしい奴。 何か実際にする事は決してないですが、「いなくなればいいのに」「死ねばいいのに」とか心の中で思っちゃったり。 実際に何か意地悪とかしたくないですし。立場があれば暴言とか言えないですし。暴力とかしてしまったら犯罪になってしまいますし。そんな時、もし、呪いの技とか知っていたら、使ってしまうという人は多いだろうな、と思いますね。というか、使ってみたいですね(笑) 呪いなら法的に罪にはなりませんし、効果がなくてもよし、もし効果があって、居なくなってくれたら、本当にやりやすくなるだろうなぁ、と思うわけで(笑) ※人間の法律的に罪にはなりませんが、霊的な意味では、どうなるか分かりません。 昔から、「人を呪わば穴2つ」と言います。 (もし、相手が呪い返しの技を持っていたら・・・) まぁ、気持ちは分かる、と言う事で。(もし攻撃的な霊術を知っていたら、辛い状況で追いつめられた時、使ってしまうかも知れないので、やはり、もし呪いの技があったとしても知らないほうが良いのでしょうね。。。)
※このブログの中で時々契山館や霊魂学について言及している部分がありますが、その内容はあくまで私的な見解であり、契山館の主張と正確に一致していない場合があります。あくまで私の個人的な考えを書いていると言う事で、よろしくおねがいします。
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