霊魂学に曰く、人間は、物質の肉体と重なる、幽質の身体=幽体を持っているそうです。 しかし現代では、宗教が廃れるとともに、傷ついた幽体を修復・治癒させたり、汚れた幽体を清めたりする技術も廃れてしまいました。 例えば、神社で祭事が行われるという時、神主に本当に霊的に高級な力があれば、祝詞を唱え高貴な気を下ろせます。 お祭りに参加した人は、人はその高貴な気を受け取り、清められたり傷を修復したり成長したりしていたわけです。 しかし現代では、神職に就いている人が、神様を信じていないという人が大半なのだとか。 神様がいるのかどうか分かりませんが、少なくとも、神様を信じていない人の祭事・儀式にで高貴な力が降りることはないようです。
今では、宗教施設に行くとかえって幽体が汚れる、というような状況があるそうで。 考えれば分かることですね。 人が非常に沢山訪れる場所は、汚れるのです。。。 誰かが掃除しているから、きれいな状態が保たれているわけです。 物質的な汚れは観光地なら掃除する人が居るでしょうが、霊的に掃除する人がいなくなってしまったらどうなるか・・・? パワースポットなどと言って神社仏閣にでかけたりする人も多いそうですが、パワーを得るどころか、かえって汚されて力を落としてきてしまう状況なのですね。。。
そんな様相なので、現代人の幽体は、長い間ちゃんと栄養を与えられていないような人も多く、幽体は未熟なまま成長しておらず、汚れがたくさん付いて薄汚れていて、また社会生活の中で憎しみ合い念を飛ばし合い、傷つきボロボロになっている人が多いのだとか。。。 外見が大きく美しい人であってもそれは同様で。 肉体の外見は美しいのに、一皮剥けば(物質の肉体を脱いで幽体だけを取り出してみたら)、ボロボロで、薄汚れて汚いという状態かも知れないわけです。 肉体の視力では幽体は見えませんから、そうであっても気がつきませんが。
肉体と幽体は重なっていて、幽体は幽体で「目」を持っているそうです。 肉体が何かを見る時、幽体もまた、幽体の視力でそれを見ているわけです。 しかし、次元が異なる身体である幽体の視力には、物質は映りません。そこにある、同じ次元である幽的質量を見ているわけです。 だとしたら、外見が美しいと思って芸能人やアイドルなどを見ていても、幽体はそのアイドルの幽体を見ているのかもしれないわけで、もしかしたら、汚い幽体を見て辟易している可能性もあるのじゃないか?と言った人がいました(笑) なるほど・・・と思いましたが 実際は、そこまでよく見えていないようです(笑) 生きている人間は、幽体と肉体が重なっていますので、幽体はあまり良く見えないのだとか。 霊魂(幽霊)からみてもそれは同様で、肉体と重なっている生きた人間の幽体は、細部まではよく見えていないようです。 なので、幽体から発する光=オーラを見て判断しているのだとか。
健康な幽体であればオーラが強く出ていますが、弱った幽体はあまり光が出ないそうで。 つまり、肉体の外見がどんなに美しい人でも、一皮剥けば、まったくオーラが出ていないという人もいるわけです(現代では多そうです)。 逆に、肉体はそれほど美しいとは言えなかった人が、一皮剥いてみたら、光り輝く幽体を持っていた、と言う事もありうるわけです。 幽体が不健康であれば、物質の肉体も活動的でなくなりますし、病気になりやすくなったりもしますので、光り輝く幽体を維持できたほうがよいのですが。 残念ながら、幽体の視力でみた情報は、肉体の脳には伝えられませんので、結局はよく分からず・・・。 テロまで行った宗教団体があったので、仕方がない事とは言え、宗教が廃れていくとともに、人々の活力・生命力も廃れて行ってしまうのも残念な事です。。。
コメント