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大人たちの妄想劇 幸せってなんだっけ?(笑)

生き方・人生・人間関係
「大人になればなるほど、求めるものがリアルになってくる」というテーマでまとめが話題になっていましたが

でも、私は逆でしたねぇ・・・

いや、物心付く前は、ありえない夢を妄想してましたけど(笑)

ちなみに物心がついたのは厨二でしたが(おそっ!)

その後は、ひたすら現実的な夢しか見なかった。

というか、実現不可能なありえない妄想=夢で、実現可能な夢=目標なんだと思うのだけど。

大人になれば、ドラえもんが現れて摩訶不思議な道具を出してくれる、というようなありえない妄想は抱かなくなり、お金が欲しいとか、より現実的な事が夢になってくるのは当然ですね。

社会に出る=働かないと食っていけない、と言う状況になるからなおさらですね。

そうなってくると、「突然億万長者になる」とか、ありえない話ではないのだけれど、可能性が限りなく低い、というのが夢(妄想)、より現実的に実現のために努力しているのが目標、と言うことになりますか。

夢(妄想)で話題になっていたツイート

 
 
 
 
 
 
 
 
 

ただ、歳をとってみて、最近気付いたのは・・・

人が求めているのは「幸せ」で、しかしその幸せを得るという夢こそが、実現しない妄想なんじゃないかということ。。。

人は、漠然とですが一言で言えば、誰でも「幸せになりたい」というのが夢というか人生の目標なんだと思います。

宗教的な意味愛で人が生まれた理由など考えてしまうとまた違う話になってしまうかも知れませんが、そういう次元ではない、現実的な人生・生活の上では、大部分の人が幸せになりたい(不幸になりたくない)と思って生きていると思います。

美味しいものを食べたい(食べるものがないという状態になりたくない)、本や映画、テレビを見たい(そういう生活ができるように安定した収入が欲しい)、みたいな。

しかし、そういう最低限度の生活の保証みたいな部分がある程度解決できていたとして。

そうなると、今度は、何が人間にとって幸せなのか?と言う話になってきますが

人間の原始的な欲求は、まずは食欲ですね。食べることと、住むこと着ることなど、物質的に満たされると次は性欲(生殖欲?)が来るわけですが。それらも満たされると、最後は社会的欲求が残ると言われますね。

社会的欲求とは、自己承認欲求とか、自己顕示欲、もっと高尚なものになると、「人の役に立って感謝されたい」みたいな気持ち(欲求)があると聞きます。

(※感謝されないで、誰にも知られずとも、一人孤独に人のために行動してそれで満足、と言う人は───本当の意味ではそれは高尚な精神なのかも知れませんが───まぁそんな境地に達することができた人は少ないんじゃないかと思います。)

でも、その社会的欲求って、大部分が、性欲から切り離せない部分があるようにも思います。完全に性欲から切り離されることが出来たとしても、それでも、人と関わりたい、人に承認されたり感謝されたりしたい、と思う気持ちは、根底は同じところに根ざしているような気がするのですよね。

逆に言えば、性欲というのは、単なる生理的欲求の充足や繁殖のための本能ではなく、人が他者を求める気持ちが根底に根ざしているのではないかと。(そしてそれが究極まで昇華されると、他者ではなく神を求めるようになるのかも?)

まぁ、無理に難しい話にしても誤魔化してるみたいになってくるので本題に戻りますが(笑)

ぶっちゃけ、人は、いくつになっても「モテたい」これが本音何じゃないかと思うわけです(笑)

歳をとってくるほどに、それはより困難になってくる。

それは、実現可能な目標ではなく、実現不可能な夢になってくるわけですね。

歳をとれば若い子には相手にされなくなってくる。

若返りたい、いつまでも若く美しくありたい。

それは無理な話。

ましてや、最初から(若い頃から)モテなかった人なら、若返っても実現不可能(笑)

最近、歳をとってみて、そういう実現不可能な夢を、夢(妄想)として認める気持ちになりました(笑)

そういう意味では、人は生まれながらにして、決して幸せにはなれない宿命を負っているとも言える。

もちろん、実現可能な夢(目標)もあるわけですので。

それ目指して努力し、得られたモノに満足していくしかないですね。

今、残り少なくなってきた自分の人生においても、未だ実現できていない目標があります。それに向かって努力を続けるのみ、ですね。

果たして本当に実現できるのか、前途多難ではありますが、頑張るしかない。

さて、もう少し、がんばりマスカ!(^ー^)


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