お品書き
書き直し中…
とりあえず、中へどうぞ
↓↓↓
スポンサーリンク

ベッカム、日本の神社に参拝

(霊魂学的)雑記・雑談日記・雑記
もちろん、その国の宗教の様式を尊重してくれた外国人の方の、そのリスペクトの姿勢は素晴らしいと思いますし、そういう方にいちいち細かく作法が間違ってるとか言う気はありません。

ただ

宗教は「文化」ではない

のではないかと思ってしまいました。。。

「文化」になってしまった、この国ではそれほど宗教が形骸化してしまったのだと思う。

よく、「神社における正しい作法」を指導して下さる方がいます。

真剣に宗教を信じての事なら良いのです、その方が信じている宗教とその作法を尊重いたしますが。

単なる文化儀礼の作法として言ってるだけの人が多いような気がします。

なんか違うんじゃね?と思ってしまうことが多々。(いちいち指摘はしませんが。)

例えば、二拍手、パンパンと続けて打つ人が多い。

うーん、それでは霊的な存在には分かりにくいだろうなぁ・・・と思ったり。

後ろを向いている人を手を叩いて振り向かせたいと思えば分かりやすい。

パンパンと後ろで音が鳴った。

振り返った。

人がたくさん居る。

・・・?(誰が叩いたんだ?)
多分、拍手というのは、神様を呼ぶための合図という意味あいがあるのではないかと思うので・・・。

まぁ、ただの独り言です、私は「正しい作法」など押し付ける気はありませんし、何が正しいかも本当は分かっていませんしね(笑)

一般の人々に向かって偉そうに「指導」をする立場ではありませんし。

間違いだらけの人間なので、よく間違ったことも言いますが、気にしないで下さい(笑)

余談ですが、異なる宗教の人が、宗派・宗教の異なる神社等の宗教施設に参拝してもよいのか?という疑問

これは、「挨拶」なら問題はないらしいですね。

むしろ、挨拶することは、その土地の神様に対する礼儀ですしね。

ただ、その宗派の人間でもないし信じてもない人が、各地の神社に行っては、私利私欲のためのお願いをして回る、と言うのは問題がありそうです。

また、昔は神社などの宗教施設は霊的に高貴なエネルギーが降りている場所で、そこに行くことで霊的な活力を補給することができたのですが、現代は残念ながら正反対。

宗教施設は、観光地化しているところであれば大勢の人が殺到していますし、むしろ質の悪い穢れた幽気のたまり場となっているケースがほとんどだそうで。

(そこで働いている神職の方が神様を信じておらず、穢れた気を祓うことも高級なエネルギーを下ろすこともできないからなのだとか)。

なので、現代は、神社などの宗教施設に行くとかえって霊的な体調が悪くなってしまうのが普通、という時代になってしまったのだとか。。。

または、観光地化していない真面目な宗教家の人がやっている施設であれば、今度はそこに関わる霊魂が居ますから、そこでお願い事をしたりすると、入信するのか?という扱いになってしまいます。入信するなら良いのですが、そうではなく、今度は別の宗教の神様を祀った場所に行って、またお願いをしたりする。となると、そちらの宗教に関わる霊魂と、前の場所で入信したと思った霊魂の間で喧嘩が起きてしまうわけですね。

本人はまったく気付いていませんが、背後では霊的な戦争状態になっているケースもあったりして、霊的には大変に良くない環境になっているケースも有りうるわけです。

これは、習い事などと同様に考えても良いでしょう。何かしらの習い事をしていて、同じような道であっても、方針・異なる考え方の違う複数の先生について、それぞれからあい矛盾した正反対の指導を受け、それを中途半端にどちらもやろうとした結果、何も身につかないどころか、ひどい結果になってしまうこともありうるわけで。

異なる流儀の団体にあちこちお参りしてお願いしまくるのは問題があるわけですね。

なので、礼儀として、挨拶をしにきた、という程度にしておくべき、という事ですね。。。

コメント