ベジタリアンやビーガンと呼ばれる、野菜しか食べないという主義の人が居ます。 彼らはなぜ、野菜しか食べないのでしょう? 考えられる理由は、 健康のため 肉が体質に合わない 宗教上の理由 でしょうか。 宗教上の理由も、単に自分の宗教の教義で禁じられているというケースもあるでしょうが、特定の宗教ではなく、「動物を殺すのは良くない」というような思想的なものも、広い意味では宗教の一種と言えるでしょうね。
霊魂学的に見た場合、実は、動物より植物のほうが、殺されたくない、食べられたくないという思いは最後まで残っている、というような話を聞いたことがあります。 「まな板の上の鯉」ということわざがありますが、動物はもともと、他の生物を食べる食物連鎖の中に居て、自分も他の生物を食べているので、最後には自分も食べられる事にある程度納得している部分があるのだとか。 しかし、植物はそうではなく、まな板の上で包丁で切り刻まれる瞬間まで殺されたくないと思っているのだとか。 もちろん、植物には脳がありませんから、その意識自体は動物よりもはるかに小さいものだとは思いますが。しかし、植物もまた、生命であることには変わりなく、命として、動物と等しく尊いはず。 植物の命は動物より軽い、植物は殺しても良いなどと言うのであれば、ある種の動物は殺してもよいが別の動物は殺してはいけない、という差別意識と同じ。それは矛盾があるのではないか?と個人的には思ってしまうのですが。。。 死後の世界では、肉体の制約から解き放たれるため、動物も植物も知性が一定以上に進歩するようです。植物も幽体という次元の異なる身体を持っており、死後は幽界という次元の異なる世界の生命体となる。そこでは、動物も植物も話すことができるようになるそうで。 自分の愛したペットと、もし再開できたら、それは素晴らしいことですね。(基本的には動物と人間は幽界の中でも違う場所で生活しているそうですが。)
そもそも、人間は、(動物は)、他の生命を殺して食べない限り、生きてはいけません。 食べるものはすべて、他の生物由来の物質だけなのです。 自然に存在する生命体でないもので、食べられるものというのを考えてみたのですが、思いつかないのですよね。。。 命は尊い、殺してはいけない。 かつ 植物も命なのだから殺してはいけない。 となったら、何も食べられませんので、餓死するしかありません。 が、、、 ふと思いついたのです。 生き物を殺さずに食べる方法(活き造りとかそういうのでもなく、残酷な意味でもなく) 「果実」だけ食べていれば、何も殺さずに生きている事になるのでは? 果実とか植物の実というのは、植物が動物に食べてもらうために作り出しているモノなわけで。 植物としても、動物に食べてもらうことでメリットがあるから作っているわけです。 種を遠くに運ぶための手段の一つなわけですね。 果実を作らならい植物も、種子が「羽」を持っていて、風に乗って飛んでいくなどの機能を持ってたりしますね。(たんぽぽなど) 果物を食べた動物が移動し、糞をする。そのことで、種子が遠方に運ばれ、種が広がり反映していく。 そのために動物が食べたがるような美味しい果実をわざわざ作り出しているわけですよね。 そのように、果物は動物が食べるために作り出したものなのですから、食べても生命を奪うことにはなりませんよね。 検索してみたら、ベジタリアンには無数の分類があり、その中に「フルータリアン」という果実だけを食べ、植物を殺さない宗派があるのだとか。 「いかなる命も奪わない」という思想に従うなら、フルータリアンは理想に叶っていますね。 問題は・・・ 果物は、保存がきかないモノが多い事ですかね。 果実だけを食べて生きていくのは、食料の確保に問題がありそうです。
また、動物性食品を一切とらず、菜食主義にすると、すべての人ではありませんが、体内の気の巡りに異常が出る人も居るという話も聞いたことがあります。 (菜食主義は体内の気の流れを早くすることがあるそうで、もともと流れが遅い人には良い結果になりますが、もともと早い人の場合はさらに早くなって頭がおかしくなってしまう可能性があるとか。) 肉を食べるとどうしても体調が悪くなるという人がいました、そういう人は菜食主義で構わないと思います。しかし、逆に言えば、肉を食べたほうが体調がよくなるという人も居る可能性があるわけです。 野菜を食べるのは体に良いことと一般的には考えられていると思いますが、菜食主義で逆に体調が悪くなる人も居る可能性があるというる事は注意したほうが良いかも知れませんね。
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