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【障害者は】人に世話になったら礼を言う、人として当たり前の事【礼を言わない】

時事・話題政治・経済・法律
先の参院選で、重度障害者の方が二人、当選してしまいました。

これに関して、様々な意見が出ています。

その中で、

「人から助けてもらったら頭を下げるのは当然のこと。社会的地位や、健常者か障害者など関係ない。人の道として当たり前の事。」

という意見を目にしました。

重度障害者が議員になることの是非や、重度障害者が登院するための費用の問題等、色々ありますが、そういう国会の問題とは別の、障害者の一般論として、なのですが、これについては、難しい問題も含まれているかなぁ、と思います。

人に世話になったら礼を言う、これは、もっともだと思います、まったくその通りだと思います。

私も、障害者の人の手伝いをして、ビックリした経験があります。

彼らは、「助けてもらって当然」で、お礼を言わないんですよね。。。

(もちろん、全部の人がそうではないと思いますが)

障害者のサポートを積極的にする人もたくさん居るわけですが、助けてもらったとしても、障害者の人の側からみれば、それは

「健常者の義務であって、礼を言うようなことではない」

そういう感じなのかなぁ・・・と思いました。

いやいやいや、

「健常者も障害者も関係なく、誰かに助けてもらったら礼を言うのは当たり前だろ?」

助けてもらったんなら一言礼くらい言えよ、とも思います、やっぱり。

それ以来、障害者の人が居てもあまり積極的に助けようと気持ちは薄まりました。

しかし、それから長い時が経って。冷静に考えられるようになり、いろいろ想像するようになって。

自分が病気や事故で障害者になる可能性があることを、歳をとって痛感するようになり。

例えば、生活のあらゆる局面で、常に人に頭を下げ続けていないと生活ができない状態になったら・・・頭を下げる側の人は、辛いんじゃないかな、ということに思いが至りました。

「そんなの当たり前、苦でもない」「あらゆるモノに常に感謝しながら生きられる」というようなメンタリティの人は良いでしょうが(笑)

プライドが高く「頭を下げたくない」というよう性格の人だったりすると(笑)

いや、笑い事ではなく。

障害者になってまで生きていたくない、と思うのではないかと。

誰だって、いつ障害者になるか分からないわけですが。

もし、自分がALSなどの難病になったら、自分で決断できるうちに、自分で命を断ちたいかな、と考えてしまいます。

そういう考えが正しいか間違っているかの議論はここでは避けますが・・・

でも、障害者になって「死にたい」って言ったら

「簡単に死ぬなんて考えるな、生きるべきだ」

って言う人はきっと多いだろうと思うんですよね。

でも、「頭下げたくない」「健常者の人の世話にこれからずっとなって生きていくのは嫌だ」と言われたら、

「じゃぁ死ねよ」って言える人は良いですが。

「生きろ」派の人は、何て応えるでしょうか。。。

生きていたくない派の人の中には、「尊厳死」を認めるべきと訴えている人も多いですが。

健常者が「じゃぁ死ねよ」というのも、それはやっぱり、優しくない社会だなぁとも思うわけで・・・

例えばAIを搭載したアンドロイドが常に寄り添って助けてくれるようになれば、アンドロイドにいちいちお礼を言う必要はなくなりますから、楽になるでしょうが。。。

障害者の人が、本当に欲しい、普通に生きていくための理想の社会というのは、頭を下げなくても手伝ってくれる人が居るのが当たり前の世の中、なのかな、と。

「助けてもらったら礼を言えよ」もそのとおりだと思う反面、

助けるなんて当たり前の空気のような行為で、いちいち礼を言うような事ではない、という社会。

それは確かに素晴らしいことかもしれないとも思う、それも一理あるかなと考えてしまいます。

自分が障害者の身内であったら、きっと、家族を手助けするたびに、いちいちお礼を言われたら、「いちいち言わなくていい」って言うんじゃないかな?と思うんですよね。

でも、"まったく礼を言わない、何をしても当たり前のように振る舞われる" としたら、絶対、それも大きな違和感を感じると思うのです。だから難しい問題かな、と…(笑)

いちいち "深謝" しなくてもいいから、当たり前のコミュニケーションとして、軽く挨拶程度の「サンキュ」くらいは言ってくれれば、円滑になるかなぁ、とは思いますけどね。

が、それすらも辛いというコミュ障の人が障害者になってしまったら、死にたいって思っても仕方がないかなぁ、とも思うんですよね。。。

まぁ、そういう話と、今回の国会議員が務まるか?という話はまた別の話ですが。

私は、実は、費用は国が負担すべきなのかな?という気持ちのほうがやや優勢だったりします。もちろん、おかしいじゃないか、という気持ちもありますが。

そもそも、重度障害者の人が国会議員になるのは反対の立場です。

障害者が国会議員になれないのはおかしい、障害者が登院できるようにバリアフリー化するのは国の仕事かな、とは思います。

しかし、それは足が動かないので車椅子とかそういう程度の話、指一本動かせない、自発呼吸ができないほどの重度の障害者となると話は別です、限度ってものがあるでしょう。

(仮に登院したとして、会期中に最悪の事態が起きないと良いなと思っていますが。。。)

権利と義務は違うわけですから。

職業選択の権利があるはずだ(※1)、警察官や消防官や自衛官、あるいは外科医に、身体の動かない重度障害者がなれないのは差別だ、というのはおかしいわけで。

命を預かる仕事なのですから、それなりの能力がある人にお願いしたい。

誰でも国会議員になれる権利はあるけれど、国会議員になったら果たすべき義務があるはず。義務が果たせない人には権利も制限されるのは仕方ないかな、と思う部分もあります。。。

国政には、選挙の時、投票で参加すればよいのではないかと思います、その他大勢の議員ではない人達と同じように。

「代議士」という言葉がありますが(※2)、人々の思いを代弁するから代議士と呼ばれるわけで。

重度障害者の代弁を議員がすればよいわけで、重度障害者自身が議員になって意見を言うのは本末転倒かな、と思うわけです。
※1 「機会平等」であって、「結果平等」ではない、と言う事ですね。

※2 余談ですが、「代議士」というのは衆議院議員の事しか言わないのだそうで。参議院の議員は代議士ではないのですね。参議院は、衆議院とは役割が違うのですよね。)

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