死ぬのは5人か、1人か…授業で「トロッコ問題」 岩国の小中学校が保護者に謝罪 - 毎日新聞
山口県岩国市立東小と東中で、「多数の犠牲を防ぐためには1人が死んでもいいのか」を問う思考実験「トロッコ問題」を資料にした授業があり、児童の保護者から「授業に不安を感じている」との指摘を受けて、両校の校長が授業内容を確認していなかったとして、児童・生徒の保護者に文書で謝罪した。…
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トロッコ問題に正解なんてないわけで。 強いて言うなら、トロッコ問題の正解、というか趣旨は、示されていない新たな選択肢を選ぶ英断力※を持つこと、じゃないですかね? (※そんな言葉ないような気がしますが、新しく作ってみました・笑) 現状ではどうやっても不幸が待っている、まさに現実の社会のようなもの。 それを、誰も不幸にならないように、新たな選択肢を生み出す事ができる人間が求められているのではないでしょうか。。。
そもそも、学校というのは、必ず正解のある問題が出題されるところ。 大学まで行ってもそれは変わらない部分があるわけで。 それが、社会に出た途端、正解のない問題の連続で。 学校のように正解を教えてくれと請うても誰も正解なんて持ってない。 それに耐えられなくて、何割かの新社会人がドロップアウトしてしまうんですよね。。。
そんな学校において、正解のない問題をあえて出すというのは、それこそかなりの英断だったとも言えるかと。 つまり、「学校が用意した正解」とは違う正解を自分で出す事を求めたわけですから。 ※学校側がどちらかを正解だと教えるつもりだったら、それは問題があると思いますが。(今回のケースでは答えは求めなかったということですから、そういう事ではなかったようですので。) ある意味、学校の用意したレール、学校の指導に逆らう事を教える教育とも言えるわけです。 まぁ本来は、そういう「答えの無いこと」をどう解決するのか、その力を身に付けさせるのが、真の教育な気がしますけどね。。。
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