某東大出身の先生が色々言っていますが。 私は彼の言っていることはすごく理解できるのですよね。 彼の主張を一言で言うと、 「自分の得意な部分で勝負しろ」 ってことなんですよね。 彼はおそらく「諦めた人」なんだろうなと思うわけで。 そして、私もそう。 諦めてない人っていうのはどういう人かというと、 「趣味を仕事にしたい」 「面白い仕事がしたい」 「やりがいのある仕事がしたい」 みたいな事を言ってる人。。。 いやぁ、仕事なんて、食っていくために仕方なくやってる事であって。 仕事に楽しさ/面白さとか、やりがいとかを求めるなんて、ウルトラ贅沢な話だと思うんです。 某先生は 「勉強ができる事は贅沢である」 と言ってましたが。 世界に目を向ければ、学校に行きたくとも行けず、ゴミ漁りをして明日のパンを買う小銭を稼ぐような生活をしている子供達がたくさん居る。それに比べたら、学校に言って勉強ができる子供が圧倒的に多い日本人の子供たちは、確かに贅沢ですよね。 でも、勉強ができることよりも、もっととんでもない贅沢が、「仕事に面白さを求める」「仕事にやり甲斐を求める」事難じゃないかなと思うのです。 もちろん、使命感ややり甲斐を持って仕事している人もたくさん居ると思いますが。そういう人は恵まれた人なだけで。 そうじゃない人のほうが圧倒的に多いわけです。 すべての人間が、自分がやりたいことを仕事にしてしまったら社会が崩壊します。 例えば、医者になりたい?医者になって人を救う仕事がしたい?それは使命感とやりがいのある仕事だとは思いますが、すべての人が居者になってしまったら、社会は成り立ちませんよね。 世の中には製造業やらサービス業やら色々な仕事があって、面白くもない単純労働も多いわけで。そういう人たちが居ないと社会はなりたたないわけで。 工場の製造ラインに入って毎日毎日ネジをしめているだけの仕事をしている人がいるから社会は回ってるわけです。 そういう仕事だって立派です。そういう仕事だって使命感を持って、やり甲斐を感じることができると主張する人もいるかも知れませんが。 現実にそう思える人は多くはないはずです。 大部分の人が、やりたくもない仕事、面白くもない仕事をやりながら、生活を支えているわけです。 仕事は、食っていくためにやってるだけ。 好きなこと、楽しい事を仕事にするのは、とてつもない贅沢な話なのです。 仕事は、楽しくなくても、やり甲斐がなくても、お金を稼げればそれでよいのです。そのために、自分の能力を行かせる仕事を割り切って選ぶ。 贅沢は言わない。 私はその考え方はとても共感できます。
まぁ、苦痛でない仕事を選ぶというのは大事ですけどね(^^;) 私も、とある業種の仕事にすごく向いていると言われていました。 自分でも向いていると思います。 が、私はその仕事が嫌いで仕方なく、結局離れてしまいました。 向き不向きと自分がやりたいことは違うのですよね。 否、向き不向きと、「自分がやりたくない事」は違うわけですね(笑)
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