ある日、急に心臓が正常に動かなくなり、強制入院させられてしまう事になった。 そんな重症だと思っておらず、軽い気持ちで病院に行ったので、何の心の準備もなかった。 もちろん入院の支度などしていない。が、それよりも困ったのは・・・・ 仕事や、その他の雑用、趣味やら、日常生活のすべての「作業」がすべて "途中"、未完な状態なことだった。 事前にある程度予告や予感があれば、それなりの仕事の仕方、作業の仕方というものもあろう。しかし、明日も明後日も来週も、ずっと続く前提で作業していた。突然終わるかもしれない、という事を想定した作業のやり方はしていなかった。 今、終わられても、全部の事が中途半端になってしまう、困るなぁ・・・・ などとベッドに寝かされながら考えていたのだった。。。 もちろん、いつかは死ぬだろうとは思っていた。 けれど、今日とか明日、その日が来るとは考えていなかった。 健康な人なら誰でもそうだろう・・・。。。
心臓の疾患は、意外と怖いものだった。 心臓はひとつしかないのだから───あたりまえの話だが、これが壊れて止まってしまうと、その時点で人生は終了になってしまう。 急所と言われるわけだ。 そんな臓器が危険な状況に置かれれて、疑問が湧き上って来る。 「・・・なんでひとつしかないんだ???」
考えてみれば、生きているということ、肉体が生きている状態を維持しているのは、すごい奇跡的な事なんだと思う。 心臓は、死ぬまで一時も休まず収縮し続けなくてはならない。 肺は、死ぬまで休むことなく呼吸し続ける。 胃腸は食べ物を消化吸収し続け、腎臓は血液をろ過し続け、肝臓は吸収した栄養を分解し続ける。 考えてみれば、体に不要な部分はほとんどない。 どれかひとつ故障しただけで、あっというまに「生」の時間は終わるのだ。。。
人間、なかなか死なないものだ、思ったよりしぶとい、そう思う瞬間も、人生にはたしかにある。 しかし、ひとたび病気にでもなろうものなら、思ったより簡単に死ぬのだという事もまた、意識せざるを得なくなる。 病気ならばいくばくかの猶予は残されている場合が多い。しかし、ある日突然、アクシデントで人生が終わるという事もありうる。 知人が事故にあって亡くなったりという事態に遭遇すれば、嫌でも思い知らされる事になるだろう。 何らかの仕事をやっている途中であっても、明日もまた続きをやるつもりでいても、その仕事を成し遂げることなく、突然、人生は終了することもあるのだ。
人間の体の臓器にはペアで二つあるものもある。 例えば肺や腎臓など。これらは、スペアと言うわけではないが、一つが壊れてももう一つが機能していれば、不自由はあるかも知れないが、とりあえず生き続ける事はできる。 しかし、全ての臓器にスペアを用意してあるわけではなく、肝臓・膵臓・心臓など、一つしかない臓器もある。 なぜ、ひとつしかない臓器とふたつある臓器があるのだろうか? 神様は人間を作るときに、スペアを作り忘れてしまったのか、途中で面倒になってしまったのか・・・? もしかしたら、全部完成する前にこの世に誕生してしまったおっちょこちょいが先祖に居たのかも知れない。
どうやら、ひとつしかない臓器は、壊れてなくなっても大丈夫だからひとつしかない、というわけではなさそうだ。 2つある臓器は壊れやすいからスペアがあるというわけでもないようだ。 ふたつある臓器は、2つあって初めて健康に生きられる機能を維持できる性能が確保できるということらしい。2つ有るので、一つがなくなってもすぐには死ぬことはないが、機能が半減したことによって、長期的に見ると影響があるのだそうで。日常の生活に制限ができてしまったり、歳をとったときに不具合が出てきて長く生きられなかったりする事があるらしい。。。 つまり、2つある臓器も、一つしかない臓器も、それがすべて完全に機能する状態で初めて、健康が維持できるということなのだ。 ひとつしかない臓器は、比較的丈夫なのかも知れないが、それは一つでももし壊れてしまえば、間違いなく死ぬ。 実は、人間の体の臓器で、壊れても生きていられる臓器など無いのだ。
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